あまり洒落っ気のない私は、毎日コキ使う必需品ほどシンプルなものが望ましい。昨年、ロンドンの小さな店で、これ以上のシンプルはない、というような時計をみつけて、何年か振りで腕時計を買った。ただ、「時計です」というだけの時計のところが気に入っている。--飾り棚、真珠、浴衣、はんこ、ダイヤモンド・・・高峰さん愛用の道具や小物を思い出とともに綴ったエッセイ集高峰秀子さんの文章を読んでいると、なんて聡明で、素敵なひとなんだろうと、いつも思うのだ。大女優でありながら「私は弁当屋のおかみさんである」なんて言い切ってしまうあたりが、なんともすごい。ちなみにこの本、高峰さん愛用の品々写真入り。これまた趣味が良くて、うっとりしてしまう。
ディアスポラ紀行―追放された者のまなざし
2005年8月2日 韓国関係/動植物大半のマジョリティは自らの祖先と同じ国に生まれ、その国に「国民」として属している。すなわち、祖国、故国、母国の三者が一致しており、そのことを当然と考えているのである。ところがディアスポラはそうではない。祖国、故国、母国が一致しないだけではなく、しばしばその三者における支配的な文化観や価値観が相違し、相克しているのである。--出自の共同体から追い立てられ、離散を余儀なくされたディアスポラたち。自らもそのひとりである在日朝鮮人2世の著者が、韓国やヨーロッパへの旅のなかで出会った事物や文学と向きあいながら、ディアスポラを生み出した近代とは何だったのか、近代以後の人間はどこへ行くのかを思索する紀行文「韓国籍」はまだしも、「朝鮮籍」って何?と尋ねられることが時々あるのだけれど、外国人登録令や日韓条約を持ち出して、その経緯を説明すると、たいがい非常に驚かれる。(意外にみんな知らないのに、逆にこっちのほうが驚くのだが)この本のプロローグでは、著者が自らの出自を踏まえながら「在日朝鮮人とは?」を説明していて、とても読みやすくわかりやすい。プリーモ・レーヴィの墓を訪ねて、イスラエルへ行った際の紀行文「死を想う日」も、じわじわと物悲しい。
京都のこころA to Z―舞妓さんから喫茶店まで
2005年8月1日 衣食住私は京都に、8年のあいだ暮らしていた。はじめてのひとり暮らし、はじめてのアルバイト、はじめてのちゃんとした恋愛など、ほとんどの「はじめて」には、京都で遭遇した気がする。・・・この本で紹介しているのは、いつ訪れても居心地の良い場所と、気が利いていて、誰かにあげるにも自分用にしてもちょうどよいお土産。8年間の京都暮らしと、3年間の京都通いで、私が個人的に見知ったものである。そんなふうに始まる前書きに惹かれて購入。恵文社の(いつ行っても)平積み本。明倫小学校・一澤帆布・河合寛次郎記念館・喫茶ソワレ・鴨川のユリカモメetc.etc.紹介されている場所やモノは、ごくごく普通に、普段接しているものだったりするのだけれど、あらためて見ると、ちょっとハッとして、なんだかいい感じ。
たぶんずっとこの街で暮らしているから、全部見過ごしてしまってるのだ。肌に馴染みすぎて、いいものも、そうでないものも、よくわからなくなってしまっているのだと思う。ときどき無性にこの街を離れたくなることがあって、そういうときに逆にこういう本を読んでみる。すると、遠くに行きたいような、この場所にずっととどまっていたいような、そんな心持ちがする。
ドングリの謎―拾って、食べて、考えた
2005年7月31日 韓国関係/動植物「拾いもの」に夢中だった少年は理科教師になり、ドングリにまつわるさまざまな謎を追求・考察し、やがて、日本最大のドングリとの出会いによって沖縄に移り住むことに・・・思いがけずアボガドが芽を出したので、つい面白くなって、いろんな種を植えてみました。先日はドングリ。最近去年の秋に西表島に遊びに行ったときにいただいた、大きなドングリです。聞くところによると「日本でいちばん大きいドングリ」で、確かに直径は3センチ近くもあります。で、この本のテーマもまさに「西表島のドングリ」。著者は海岸で拾ったドングリがきっかけになって、西表島に移住してしまったのだとか。なんとも、つわもの。
でも、この本によると、ドングリは種子のなかに水分を貯えている分、乾燥に弱いので、発芽させようと思ったら「拾ってきてすぐにビニール袋に入れて冷蔵庫で保存」しないといけないらしい。嗚呼、そんなのもう手遅れです。半年以上ほったらかしにしておいたのに!はてさて、このドングリに奇跡は起こるのでしょうか?
『できるかな』シリーズ第3弾がついに登場!各方面に衝撃を与えた『脱税できるかな』、文字通り体を張った『ホステスできるかな』。この強カラインナップを中心に、ここ数年の波潤万丈のサイバラワールドがぎっしり詰まった、読み応えたっぷりの一冊。うーむ・・・過激。初めて読むサイバラ漫画がこの一冊というのは、はたして適切な選択なのでしょうか。むむむ。
(読んじゃいましたよ、金さん。ふふふ)
週刊 驢馬の目 ただいま子育て中。
2005年7月29日 店主のつぶやき
といっても、メダカです。じゃんじゃん生まれています。初産にして、いきなり子だくさん。埃みたいな大きさで生まれて、数日のうちに5ミリくらいの大きさになります。その速度たるや、相当。子育てかあさんは、いずこも大変?!
こねて、もんで、食べる日々
2005年7月29日 衣食住自分のからだが直接相手に触れる。からだに宿るちからやぬくもりを、指を通して相手に伝え、やわらかく馴じませてやる。それが、手で合えるということ。相手はみるみる手に感応する。葉、茎、皮、それぞれの繊維が「ほどよく」開き、ほぐれ、そして味はしっくりしみこんでゆく。さっさと言うことを聞かないイケズな相手も、そこはお手並みしだい、手練手管ひとつである。「ナムルをほどよく手で合える」という、しごくありふれたことも、平松洋子さんの手にかかるとこんなに艶っぽい文章に早変わりする。日々のごはんがいとおしくなる。ひとつの食卓を囲み、同じごはんを食べるという行為はたぶん、「伝える」ということにとても似ている。平松さんの文章を読んでいると、いつもそんなことを思う。平松さんの作る料理はモノローグではなくて、ダイアローグ。顔色をうかがう相手がいて、ときには晴れたり曇ったりする、ごく普通の食卓。だけど、なんだか特別なんだな。★★★★
活版、手動写植、オフセット、グラビアなど多彩で多様な印刷の現場をルポルタージュ。デジタル化が急速に進むなか、これからの出版と印刷はどこへ行こうとしているのか?印刷技術の基礎と出版の未来を知るための、最良の入門書。イラストも満載。とにかく活字が好きで好きでたまらない病的な活字中毒者の方におすすめ。とてもマニアックな活字本。前半の「活版印刷」の部分が楽しい。「あこがれの活版職人になる」という第二章はちょっと脱帽モノ。がさつな私にはとても真似できません。
駱駝はまだ眠っている
2005年7月27日 小説1970年代、京都の烏丸今出川に実際にあった喫茶店「駱駝館」を舞台に繰り広げられる物語。あろさんのお友だちからいただく。著者とは直接面識はないのだけれど、文中のとある登場人物が共通の知り合いであることが発覚し、あっという間に人脈がつながる。京都の狭さ、恐るべし。幼少期から京都カルチャーの洗礼をどっぷり受けて育ったので、70年代の話でありながら、何となく薄々わかるあたりが(個人的には)とてもツボ。さらに表紙の写真は八文字屋の甲斐さん。世の中狭い、狭すぎる・・・
愛、友情、孤独、ロックンロール・・・風の街シカゴのダウンタウンに展開するさまざまな人生を叙情とユーモアをこめて描く連作短編集。訳者の柴田元幸さんが「これまで訳したなかで最高の一冊」と帯に一筆する逸品。『冬のショパン』という作品がなんだかすごくいいんです。
うまく説明できないんだけど。
女は下着でつくられる
2005年7月24日 エッセイカラフルな色・デザイン・素材、キュート、セクシー、ユニセックス-今では当たり前のように手に入るこうした下着を、誰も思いつきもしない時代に投げかけ、時代の寵児となった鴨居羊子。新聞記者から下着デザイナーになり、絵を描き、文章を書き、フラメンコを踊り、料理を作り、天真爛漫で、食いしん坊で、キュートな気持ちを持ち続けた彼女のエッセイをまとめたコレクション第一巻。前半は「わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい」。新聞記者時代から、下着デザイナーとして注目を集めるまで・・・一時代を駆け抜けた鴨居羊子の胸のうちがつづられている。先駆者としての気負いと、表現者としてのアクの強さに、いささか圧倒されるのだけれど、それだけじゃない何かがひとを惹きつけるのだろう。それはたぶん、羨望のまなざしで仰ぎ見られるアーティストには似つかわしくない、孤独。本当は不器用で、寂しがりやで、ただただ愛らしい女性なのにと、同性が思わず肩入れしたくなる、そんなひとなのですよ、鴨居さんって。巻末で江國香織さんが「大胆な小心者」と表現してるけど、非常に同感。いまをときめく下着ブランド、PJのカリスマ女社長にはなさそうな、しめっぽさが魅力です。
弟の玲も死んでとうとう私は一人きりになった。兄明も玲も私も子供がいない。文字通り私の家族は消えてしまった。か細い私の記憶の中にしか鴨居家は棲んでいない。たった一人きりになって考えてみると、母が本能的な直感で、自分の人生のすべてをかけて過去にばかり執着した理由がわかるような気もする。後半は自らの半生をつづった「わたしのものよ」。鴨居さんの言わんとしたことは、結びの一文に集約されていると思う。最後の最後で、ますます切なくなってしまった。「今度生まれ変わったらみないっしょに住もうよ。もう二度と変な失敗しないからね。これは生いたちの記でなく、失敗の記でもある。父母と兄と弟のためこの本を捧げます」
週刊 驢馬の目-天地無用?のアボガド観察日記
2005年7月24日 店主のつぶやき
3日ほど前から、ぱっくり割れたアボガドから、細くひょろりとした、えんじ色のものがにょっきりと顔を出しました。根のような、芽のような、どちらともつかないような不思議な代物で、「もしやこのアボガド、天と地を間違っているのではないか?」と疑ってかかっていたのですが、本日めでたく、これこそが「芽」であることが判明いたしました。出てくるのは双葉だとばかり思いこんでいたので、意外な展開にちょっとドキドキです。
対話集 歩きながら考える
2005年7月23日 ノンフィクション『バナナと日本人』『ナマコの眼』の鶴見良行が網野善彦ら抜群の対話者たちと、アジア・香港・漂海民と多彩なテーマで論じ尽くした対話集の集大成。こういう本を読んでいるとつくづく、学生時代にもう少し勉強しておけばよかったとか、もっといろんな国に行ってみたらよかったとか思ったりするのですが、時はすでに遅し。この対談集はテーマが多岐にわたる上に、話があっちに行ったり、こっちに来たりで・・・知識がとぼしいからかなぁ。やや混乱しなくもないのですが、なかなか面白かったです。
「さいなん、って何?」とサヅキが尋ねた。妻は「災難というのはねえ、うーんとね、お母さんがお父さんに出会ったということが災難。それで騙されて一緒に暮らすことになったお母さんの苦労の毎日が遭難。分かる?」十年あまりも新作を発表していない小説家の「私」、家出をしてまで「私」のところに転がりこんできてくれた16歳も年の離れた妻、そして屈託のなさが愛らしい一人娘のサヅキちゃん。そんな3人が繰り広げる、ちょっと可笑しくて、鼻の奥がつんとなる物語(それも実話)。もちろん、いつも家計は火の車。「お金がない」と言ってしまえば身も蓋もないのだけれど、これがどうしてなかなか!楽しそうな日々なのです。やむなく自給自足、やむなく手作り、やむなく川へ魚を釣りに行く(夕飯のおかずになる)と書かれているものの、ここに描かれているのは正真正銘、かけがえのない家族の記録です。
人気料理家のひとたちが、「自分のために作る、私の料理」というテーマで公開したレシピ集。有元葉子さんや、高山なおみさん、長尾智子さんのレシピが1冊のなかにぎゅっと詰まっているので、お得感がある。なかには「ひとりで作るのに、こんなに贅沢な逸品を?」というような凝ったお料理もありますが、基本的にはとっても簡単でおいしそうなものばかり。でも、「自分のために作る、ひとり分」って、どうも気乗りがしないのよね。根がぐうたらだからなのか、「鍋からそのまま、ほそぼそと食べる」っていうひとの気持ち、よくわかる。
韓国のデジタル・デモクラシー
2005年7月20日 韓国関係/動植物
南北に分断されて以来、長い間反共主義が支配イデオロギーとして権力と一体化してきた韓国。当時、保守系新聞は権力と癒着し、ジャーナリズムの機能を果たしてこなかったため、メディアに対する不信感と失望感はいまだに根強い。「民主化をこの手で勝ち取った」自負心にあふれる386世代が社会の中枢を担っている現在、オルタナティブメディアの存在感はますます大きくなっている・・・「オーマイニュース」や「ハンギョレ新聞」などを具体例にあげながら、韓国の現代史をメディアという側面から解説する入門書。とてもわかりやすい。ただ、これはひとつの潮流であって、これがそのまま韓国の全体像ということにはならないだろう。保守系新聞の社説も合わせて読むと、韓国のいまが見えてくるような気がする。
ku:nel 9月号 木蔭主義。
2005年7月20日 衣食住
巻頭特集が『ルーペ片手に、ダンジェネス』なのでした。読みたくて、うずうず。手元に置いてワクワク。ダンジェネスといえば、デレク・ジャーマンが生涯愛した庭なのですね。前にBon-knowでレビューを書きましたが、素敵な庭なのですね、じつに。
http://diarynote.jp/d/61990/20041121.html
http://diarynote.jp/d/61990/20041121.html
週刊驢馬の目−我が家の少子化問題。
2005年7月20日 店主のつぶやき
ご多分に洩れず少子高齢化が深刻な我が家に、遂に一縷の光が差しこみました。おぉぉ!(拍手)写真ではわかりにくいのですが、金魚鉢のメダカちゃんがご懐妊されました。これまでは「おっ、卵発見」と思ったら、タニシの卵だったり・・・ひと騒がせなことが多かったのですが、これでひと安心。出町柳のメダカ屋さんのおばちゃんに相談した甲斐があるってもんです。