沖縄・奄美《島旅》紀行
2005年9月1日 新書本書では、ガイドブックではあまり触れられることのない島の変化に富んだ素顔を通して、自分なりに感じた沖縄・奄美の島々の魅力を伝えるよう心がけたつもりだ。内なる異境――南島の秘める多様な味わいを、少しでも汲み取っていただければありがたい。(「まえがき」より)と、前書きにあるように、奄美以南の島々を旅して歩いた著者の旅行記なのですが、ひとつひとつの島について割かれているスペースが少ないので、導入で終わってしまっている気がなきにしもあらず。八重山フリークとしては、もっと深い部分が知りたかった。個人的には、点から点へ移動するよりも、島は面で向き合ったほうが楽しいなぁ。
僕らの八百屋チョンガンネ―野菜や楽しさ、売ってます。
2005年8月31日 韓国関係/動植物
日本以上に学歴社会の韓国では、「大学卒の若者が八百屋になった?!」というだけで大騒ぎされるのは当然のこと。著者は大学卒→イベント会社勤務→行商経験→八百屋経営という、いわば韓国では「奇人か変人か」の部類に属する人物。でも、いまや「チョンガンネ(独身男の家)」という愛称で呼ばれる韓国屈指の八百屋チェーンの若旦那。で、この本は大富豪になった若手ベンチャー社長が「成功の秘訣」を語るという趣旨の本なのですが・・・ここに書かれているのはノウハウが云々とかいう内容ではなくて、気恥ずかしいくらいに、まっすぐで熱い社長さんの思いなのです。このお店が奥さま方に愛される理由がわかります。こんなお兄ちゃんがわんさといる店なら、私も行きたい。
ケンタロウの島ごはん
2005年8月30日 衣食住
沖縄と八重山の島ごはんを紹介するケンタロウ君の最新刊。はっきりいってセレクションが抜群。石垣島ラー油のぺんぎん食堂に潜入取材をしたり、西表島の「はてるま」の女将さんに料理を習ったり・・・ケンタロウ君、あなたのツボは最高!紹介されている料理も素材の組み合わせがいいので、この本を読めば、沖縄料理が間違いなくおいしく作れるはず。基本的に沖縄料理って時間がかからないものが多いから、らくちんでいいのよね。去年も行ったけど、「はてるま」また行きたいなぁ。こんなふうに紹介されるとひとがドッと押し寄せそうなので、そろそろ予約を入れておくかなぁ、といってもまだずいぶん先の話。
歴史を振り返ってみるなら、多くの芸術家は食いしん坊だった。それは単に食欲の問題である以上に、彼らが生来的に抱いていた、世界に対する貪欲な好奇心に見合っていた。ある者たちは優れたレシピ集を残し、別の者たちは後世の伝記を通して、その健啖ぶりが伝えられた。彼らは、洋の東西を問わず、ラブレーの子供たちなのである。本書は、過去の書物を読むことと未知の料理を前にすることこそが人生の悦びであると信じる、ひとりの批評家によって書かれた、実験レポートである。だいたい目次を読んだだけで、思わず膝を打ちたくなるような、グッとくるラインナップ。
・ギュンター・グラスの鰻料理
・立原正秋の韓国風山菜
・ジョージア・オキーフの菜園料理
・小津安二郎のカレーすき焼き
・マルグリット・デュラスの豚料理
・ポール・ボウルズのモロッコ料理 etc.etc.
この魅惑的な料理の数々を「作ってみて」「食べてみる」ということだけで十分に前代未聞。しかも実践したのは四方田さん。帯にあるように、すみからすみまで「舌と脳と胃袋で考える、食をめぐる実践的文化試論」なのです。もう何も言うことはありますまい。ごちそうさまでした。★★★★
ちなみに、このような本が出版されるのを、私はずっと心待ちにしていたのです。『食卓の上の小さな混沌』を読んで以来、ずっと。この『食卓の上の・・・』は絶版本でなかなか入手がむずかしいのですが、すごく素敵な本。お母様へのオマージュとして書かれた四方田さんの「食の記憶」。「海鼠を育てる」というエッセイなんて特に良。
命に値段がつく日―所得格差医療
2005年8月28日 新書お母さまがスウプを召し上がる時のスプウンみたいに、お箸をお口と直角にして、まるで小鳥に餌をやるような具合にお口に押し込み、のろのろといただいているうちに、お母さまはもうお食事を全部すましてしまって・・・『斜陽』太宰治
小説のなかに出てくる料理の数々を再現し、写真つき、レシピ付きで紹介するという本。実際に本人が作ったりもしていて、その腕前のほどが、なかなか興味深い。他にも太宰治の『斜陽』に出てくる、あの「グリンピイスのスウプ」を再現したり、宮沢賢治の「特製御葡萄水」を作ってみたり・・・活字中毒者にとっては、文字通り「おいしい本」。葡萄水の作り方の章では、「葡萄は発酵すると葡萄酒になってしまい、酒税法にひっかってしまいます。くれぐれも趣味の域で作りましょう」とわざわざ但し書きがしてあるのが、こころにくい。
料理と器―立原正秋の世界
2005年8月26日 衣食住後年、母とこのことをよく話した。夜食をとると太るし、睡眠も妨げられるし、良いことはなかったが、思い出が残った。残された家族が、思い出として話すことができるのは、長い年月がたち、私たちのうちに確かな位置をしめたからに違いない。「仕事が進んでいないとき」であったのか、ふいに家族に声をかけ夜食に誘う小説家の父、立原正秋。それはどこか苦痛で、緊張感を強いられる夜更けの食卓であったが、いま思えば大切な時間だった・・・とつづる息子の潮氏のまえがきが、胸にしみる。父上が生前好んだ食卓を再現したのは、料理人になった息子、潮氏。とにかく細部まで細やかな本。料理がおいしそうなのは当然だとしても、器の趣味まで超一流。李朝白磁や高麗青磁の、こっくりとした肌合いの、なんと上品なことよ。10年前に出版されたものとは思えない錆びない美しさに、嘆息。
残念ながら絶版ですが、この本、すごく好き。作家、俳優、映画監督、料理研究家etc.etc.が「わが家の夕めし」を写真入りで紹介していて、アサヒグラフにかつて連載されていたものらしい。「えっ、こんなひとが?!」と目を見張るようなひとがゴロゴロ登場していて、なおかつ家の中まで公開してしまっているという、なんとも大胆な企画。昭和50年前後の家族の情景というのも、自分の幼い頃と重なって、とても懐かしい。以下、非常に興味深かったひとの食卓の例を・・・
*遠藤周作(メザシをかじっている写真つき)
奥さんが「食べものに金銭を浪費するのは愚劣だと思っているくちなので」と前置きをしたのち、「とはいえ、自分の家の食卓はあまりにも質素すぎるのではないか」と、紙面を借りて、愚痴を少々。かの大文豪が「時々、夢で血のしたたるビフテキを食っている自分の姿を見る」のだそうです。
*谷川徹三(哲学者。谷川俊太郎さんのお父様)
器の趣味の良さがピカイチ。バーナード・リーチの蓋物を普段用で使っていらっしゃることに絶句。
*荒畑寒村(社会運動家)
なかなか美味しそうな食卓なのに、いままで食べたもので何がうまかったかという話になるとやはり「監獄料理」なんだとか。この「監獄料理」の話はとても面白いのですが、いかんせん絶版で入手困難。
*麿赤児(舞踏家・大駱駝館主宰)
写真中央、手づかみでごはんを食べている少年(ほっぺたにはごはんつぶがついている)は、「南朋ちゃん」と書かれていますが、まがうことなき、大森南朋氏そのひとです。ファンなので、ちょっとドキドキ。
*井上ひさし(子供たちがなにやら不機嫌そうな写真とともに)
前歯をのぞくほとんどの歯が虫歯だという井上氏は、「食事に対してまったく無頓着」で、「やわらかいものが食べたい」ということ以外に望むことはないのだとか。だから「家人が世にもまれな料理下手」だったことは幸いなのだが、「ハンバーグと揚げたチーズと生にんじんの絞り汁の献立は、週に何度も繰り返され、子供たちのひんしゅくを買っている」とのこと。なるほど・・・
*遠藤周作(メザシをかじっている写真つき)
奥さんが「食べものに金銭を浪費するのは愚劣だと思っているくちなので」と前置きをしたのち、「とはいえ、自分の家の食卓はあまりにも質素すぎるのではないか」と、紙面を借りて、愚痴を少々。かの大文豪が「時々、夢で血のしたたるビフテキを食っている自分の姿を見る」のだそうです。
*谷川徹三(哲学者。谷川俊太郎さんのお父様)
器の趣味の良さがピカイチ。バーナード・リーチの蓋物を普段用で使っていらっしゃることに絶句。
*荒畑寒村(社会運動家)
なかなか美味しそうな食卓なのに、いままで食べたもので何がうまかったかという話になるとやはり「監獄料理」なんだとか。この「監獄料理」の話はとても面白いのですが、いかんせん絶版で入手困難。
*麿赤児(舞踏家・大駱駝館主宰)
写真中央、手づかみでごはんを食べている少年(ほっぺたにはごはんつぶがついている)は、「南朋ちゃん」と書かれていますが、まがうことなき、大森南朋氏そのひとです。ファンなので、ちょっとドキドキ。
*井上ひさし(子供たちがなにやら不機嫌そうな写真とともに)
前歯をのぞくほとんどの歯が虫歯だという井上氏は、「食事に対してまったく無頓着」で、「やわらかいものが食べたい」ということ以外に望むことはないのだとか。だから「家人が世にもまれな料理下手」だったことは幸いなのだが、「ハンバーグと揚げたチーズと生にんじんの絞り汁の献立は、週に何度も繰り返され、子供たちのひんしゅくを買っている」とのこと。なるほど・・・
蝶を生涯にわたって愛し続けたヘルマン・ヘッセ。蝶とのかかわりを熱っぽく綴る散文作品と、生命の神秘をうたいあげた詩の数々。手彩色の銅版画を多数掲載挿絵がとてもきれいな本なのですが、何より驚いたのは『クジャクヤママユ』の章。まるで映像が立ちのぼるかのように、すみからすみまで既視感があるので、どうしてだろうと思っていたところ、これは中学校の国語の教科書に載っていた文面なのですね。恐るべし教育効果。
それにしても、いま読むとなかなか読みごたえがある短編。最後に少年は自らの蝶のコレクションを粉々に握りつぶしてしまうのですが、これを期に、彼の少年期が永遠に失われてしまうのだとすると、そのまぎわというのは、さなぎが蝶に変わる瞬間のように、はかなく痛々しく、艶っぽいものなのですね。暴力性とすれすれのところにあるエロティシズム。
しかし、当時の私はどんな読書感想文を書いていたんでしょう。おそらくまた、「クラスでひとりだけズレた意見」路線まっしぐらだったのでしょう。確信あり。きっと先生としては「友だちを裏切るような行為は、けっきょくのところ自分を虫ばみます」とか「嘘を最後まで突き通すことは不可能です」とかいう、率直な意見を期待していらっしゃったのでしょう。・・・そういうの、書いた覚えないなぁ。
職人気質をひとつ―和の雑貨と暮らす
2005年8月23日 衣食住
祖父が手仕事のひとだったからか、木肌のぬくみが残っているような日用品に、なんとなく目が引き寄せられます。けっして饒舌ではないけれど、そこには職人さんの心意気がそこはかとなくのぞいていて・・・それでいて、ひと筋縄ではいかなさそうなところがなんだかいいみたい。この本のなかには、いろいろな和雑貨が紹介されているのですが、やはり気になるのは「井川メンパ」。その混じり気のない美しさに、ますます心惹かれます。
週刊 驢馬の目 ロバのエサをいただくの巻
2005年8月22日 店主のつぶやき
お知り合いの方から東京のガイドブックをたんまりといただきました。キーワードは古本とカフェ。まさしく完璧な必須アイテムです。さて、では東京に行くとするか・・・と言いたいところですが、しょっちゅう行き来していた東京のお友だちに、最近彼氏ができました。となると、女どもは冷たいものですネー。遊んでくれないんですネー。仕方がない。読むだけ読んで、妄想をふくらませておきましょう。ところで、みなさま!ご不要になった本、本棚に収まりきらなくなった雑誌等がございましたら、店主にひとことお声をかけてくださいませ。ロバの餌は慢性枯渇状態ですので、「それ、読みたい!」と飛びつくこと、うけあいでございます。
健全な肉体に狂気は宿る―生きづらさの正体
2005年8月22日 新書
韓流ならぬ、檀流はどこまで続くのか?という感じですが、この一冊でもう終わりにします(涙)。というわけで、こちらは『檀流エスニック料理』。ただのエスニック料理ではなくて、「しょっつる(和製ナンプラー)」から自家製で作ってしまうという手の凝りよう。さすがに真似できません。でも、キムチ漬けこみ用の大かめは便利そう。ちょっと心惹かれました。ちなみにこの本によれば、檀家は親子二代ではなく三代にわたって食いしん坊の血が受け継がれているようです。太郎さんの息子さんたちも相当ご執心のご様子。さすがというか、やはりというか・・・
父は毎年梅雨時になると、梅をしこたま買い込んでは、梅に塩をまぶして大きなカメに漬け込んでいた。・・・梅雨が明けてからしばらく経つと、世の中には一斉にシソの葉が出てくる。しかし、このシソの葉、店頭を飾るのはほんの短期間だから、ややもすると買いそびれてしまう。・・・母とてウッカリすることもあるだろう。「アノー、申し訳ありません。つい買いそびれてしまいました」父はこの母の言葉をキッカケに家出をしてしまう。が、二三日もするとニコニコしてご帰館になる、両手にシッカリとシソの葉を抱えてである。連日、『檀流クッキング』について熱く語っていますが、こちらは息子の太郎さんが書いた『新・檀流クッキング』。やはり、父上のエピソードが可笑しいです。
檀家の四季の食卓から 晴子さんちのおかず
2005年8月20日 衣食住
というわけで、まだまだ続く檀家シリーズ。檀家に嫁いだ晴子さんのお料理本です。ちなみに、この『晴子さんちのおかず』という本がわが家のバイブルでした。父母娘と3人が熟読し、ふせんをつけ、煮こぼしの跡を残し、食べこぼしの染みまでつくり、さらには子犬だったころの愛犬チビが本の背をガリガリとかじったので、もはや本とは呼びづらいものに変貌してしまったのですが、いまでもときどき読み返します。絶版ですが、おすすめです。
檀流クッキング 入門日記
2005年8月20日 衣食住チチは自らを「料理の元帥」と称し、母を一等兵、私たち下っ端を二等兵と呼んでいました。お偉いおかたというのは、たいていの場合、一段高い所にドッカと座り、命令下せど体は動かさず、というのが通例なれど、この元帥は自ら買いカゴを引っ下げ、街の市場に買出しに行き、自ら先頭に立ち、包丁を握り鍋をかき混ぜます。だから階級の違いは、あくまでも腕前の差の表現であって、立ち働くことにおいては、この家では元帥も二等兵も変わりなく、いえ、まめまめしさという点では元帥が一番であったでしょう。結婚当初、檀家の父子が食べることに大騒ぎしている様を見て、「何て馬鹿ばかしい親子だろう」と本気で思ったという晴子さん。でも、いつの間にか、それが「楽しさ」に変わっていったのだとか。そんな晴子さんが日々のあれこれを書きつづったエッセイ集。この本、絶版なのが口惜しいくらいに面白いんです。 最初の章なんて特に。
聖徳太子ならいざ知らず、並みの人間には、そう一度にアッチャコッチャ気をくばれるものではないのです。ひとっとこをワアーッと輝かせちゃうと、目はただひたすらそちらを見つめ、他のことはまるで気がつかない。おいしい料理ってのは、そのくらいのすごさで人の関心を集めることができる要素を持っているのです。台所で、バッタカバッタカ大騒ぎして動きまわっていると、皆もうびっくりして、障子の桟にホコリがたまっているなんてこと、気がつきもしません。嘘だと思うなら、ためしに一度やってごらんなさい。
主婦たる気負いがあまりない、いいかげんさが良い加減。おそらく、うちのハハがこの本を読んだら、早々に高々と勝利宣言をすることでしょう。私の家事は間違っていなかった、と!(そう、確かに幼少期、家のなかがとっ散らかっていることに、娘は気づいておりませんでした・・・)
檀流ワイルドクッキング
2005年8月19日 衣食住「オーイ、タロー、起きてクダサーイ。おいしいものができましたよ」夜中の二時だろうが三時だろうが、そんなことはおかまいなしだ。人がせっかくいい気持ちで寝ているというのに、父の大きな声に起こされる。「アーア、またか」と眠い目をこすりながら台所に行くと、「どうです。キレイでしょう、今日のタンは。あなたはシアワセモンですね。こんなに素敵なごちそうが食べられて。オイシクできましたよ。さあ、食べなさい。いま食べないと時世に遅れますよ」と、父は上機嫌で完成したばかりの料理を勧める。檀一雄といえば、世間一般には『火宅の人』というイメージが強いのかもしれませんが、私にとっては『檀流クッキング』のひと以外の何者でもありません。(やれやれ、幼少期の刷り込みというのは永遠なり)そして、この飄々とした檀氏の口ぶりが何ともいえず魅力的で、ついついご家族の方々の本も買い揃えてしまうのですね。これは息子の太郎さんの料理本ですが、ときおり顔をのぞかせるお父様が、やっぱり素敵。
「女どもは、冷たいものですネー。一家の主が夜を徹して働いているというのに、ダーレも手伝ってはくれません」
これは「テーブルの上に置いた山ほどのネギの束を、夜中に黙々とひとりで刻んでいた」檀一雄氏の弁。なんだか、いいですネー。
週刊 驢馬の目―アボガド観察日記 ただいまの身長50cm
2005年8月18日 店主のつぶやき
すっかりアボガドらしくなりました。
となると、期待がふくらみますね。
アボガドノ木ニ アボガドノ実ガナル。
ナニゴトノ不思議ナケレド
・・・と、そんなわけはなく、
京都でアボガドが本当に実ったら、オオゴトです。
となると、期待がふくらみますね。
アボガドノ木ニ アボガドノ実ガナル。
ナニゴトノ不思議ナケレド
・・・と、そんなわけはなく、
京都でアボガドが本当に実ったら、オオゴトです。