ISBN:4622071649 単行本 高橋 啓 みすず書房
★★★★★

その日のまえに

2005年8月12日 小説
神様は最後の最後まで、和美には意地悪のしどおしだった・・・神様よりも人間のほうが、ずっと優しい。神様は涙を流すのだろうか。涙を流してしまう人間の気持ちを、神様はほんとうにわかってくれているのだろうか。頼む、涙よ、邪魔をしないでくれ。僕の妻は、もう、こんなに透き通ってしまった。―昨日までの暮らしが、明日からも続くはずだった。それを不意に断ち切る、愛するひとの死―。生と死と、幸せの意味を見つめる最新連作短編集。
「泣かせる」というお題目を帯にデカデカと書いた”あざとい本”とは一線を画す、悔しいほどに泣かされる本。冷静な気持ちでは読みすすめることができず。★★★★

みどりのゆび

2005年8月6日 小説
どこか「ほかのこどもとはちがう」少年チト。「注意力に欠け、理屈を言い、おうような感受性はいいが、質問が多すぎる」まわりの大人たちは顔をしかめて、彼のことをそんなふうに言う。ところがチトには不思議な素質がやどっていて・・・「みどりのゆび」で地面に触れるだけで、あたりを花畑にしてしまう少年が、世界に奇跡をもたらした、あわくせつないファンタジー。
いい本だなぁと、読み終わってしみじみ。唐突におとずれる物語の終焉も、奇跡の短さも、なんか説得力があるんだな。だからといって、この本が絵空事だと言っているのではなくて・・・チトが残していった勇気とか夢を、ときどき思い出して空を見上げる日があってもいいと、思ったりするのです。

「みどりのゆび」という言葉が浸透している割には、実際にこの本を読んだことがあるひとは少ないのではないかと思いますが、子どもたちよりも、大人たちにおすすめな本。懐かしい感じがする挿し絵も良。映画『トト・ザ・ヒ−ロ−』や『八日目』のジャコ・ヴァン・ドルマルの描く世界にもどこか似ている。

この物語を読んで、まっ先に思い出したのが、デザイナーの徳田祐司さんが手がけている『retired weapons』というプロジェクト。映像とかデザインっていうのは、やっぱり強い。すごく端的で、なのに限りなく力強い。
http://www.tokudayuji.com/retriedweapons/retiredweapons.html
駱駝はまだ眠っている
1970年代、京都の烏丸今出川に実際にあった喫茶店「駱駝館」を舞台に繰り広げられる物語。
あろさんのお友だちからいただく。著者とは直接面識はないのだけれど、文中のとある登場人物が共通の知り合いであることが発覚し、あっという間に人脈がつながる。京都の狭さ、恐るべし。幼少期から京都カルチャーの洗礼をどっぷり受けて育ったので、70年代の話でありながら、何となく薄々わかるあたりが(個人的には)とてもツボ。さらに表紙の写真は八文字屋の甲斐さん。世の中狭い、狭すぎる・・・

シカゴ育ち

2005年7月25日 小説
愛、友情、孤独、ロックンロール・・・風の街シカゴのダウンタウンに展開するさまざまな人生を叙情とユーモアをこめて描く連作短編集。訳者の柴田元幸さんが「これまで訳したなかで最高の一冊」と帯に一筆する逸品。
『冬のショパン』という作品がなんだかすごくいいんです。
うまく説明できないんだけど。
おばあさんの中には、女の子がいるかもしれないんだ。おじいさんの中には、スケートボードに乗った男の子がいるかもしれないんだ。その人たちは、飢えたような目で見ているのかもしれない。まわりで子どもたちが遊んだり、笑ったり、走ったり、サッカーボールをけったり、逆立ちしたり、側転したりするのを。ついさきまで自分も若かったこと、その若さがあまりにも短かったことを思い、切ない気持ちで見つめているのかもしれない。
おしゃべりで勇敢な12歳の少女、赤毛でそばかすだらけのカーリー。ある日、彼女はとんでもないトラブルに巻きこまれてしまう。なにが真実なのだろう?どこまでが嘘なのだろう?魔女たちの巧妙な嘘にまんまと引っ掛かってしまったふたりの少女が繰り広げる、ハラハラドキドキのファンタジー。途中からの急展開が見どころ。魔女たちのデモーニッシュさ加減がぞくぞくするくらい面白い。アレックス・シアラーの作品でいうと、『スノードーム』に近いかも。
魔女たちの嘘は、深い川の表面に張った薄い氷のようだ。遠くからなら、心配することなんか何もなさそうに見えた。だからどんどん進んでいって、そのうち安心して全体重をかけるようになって、これなら大丈夫と思った。そのとたん、氷が割れ、凍りつくような水の中に落っこちてしまった。

肝心なのはそれだけ。あとは杯を傾けるほどに刺激がなくなり、粘っこい生ぬるさと、白けた満腹しかやってこない。最後に残るのはたぶん、虚勢もこれで終りという幻滅・・・なすすべもなく絶望した錬金術師は、ただ見かけだけ威勢よくビールの杯を重ねたあげく、喜びを陰らせるだけ。それは苦い幸福、最初の一口を忘れるために飲むもの。
日常のなかのシンプルな喜び、至福の瞬間を34篇集めた日々の快楽主義の小さな手引書
「ビールは一口目だけがうまい」とみなさんよくおっしゃいますが、その割にはお腹がタプタプになるまで、よくお飲みになっているように見えなくもない。本当なのでしょうか?「飲み続ける」というのは、それはそれで苦い幸福なのでしょうか?下戸なので、その感覚がわからないのが口惜しい。
結局、青い鳥は自分の家の鳥籠にいる。この法則から、人間は逃れることができないのだろうか?だとすれば、人間は本当につまらなくて、可能性も意外性もない生き物だけれど、だから、温かくて、愛しい生き物であるのだろう。
糸の切れたタコのように彷徨う、得体のしれないオトンのおかげで、いつもどこかすきま風が吹いている家族。でも、オカンはどんなときもそばにいてくれた・・・読みごたえ充分!早すぎる傑作(かもしれない)リリー・フランキーの半生記。あるいは、ちょっときわどい究極の恋愛小説とも呼べるだろう。
ボクが一番恐れていること。小さな頃から最も不安な気分に襲われること。想像しただけで枕を頭から押させて両耳を塞ぎたくなったこと。いつか本当にやってくること。確実に訪れることがわかっている恐怖。それが現実味を帯びて本当に近づいて来たような気がしていた。
リリー少年のけなげさにほくそ笑んでしまう前半とは一転、次第にシリアスな方向へ傾き始める物語後半・・・こちらも手に汗握り、「まだ死んでもろうたら困る」と思わずつぶやきたくなりました。「子供のために愛情を吐き出し続けて、風船のようにしぼんでしまった」オカン。強くたくましく、優しいオカン。そんなリリー・フランキーの母上、ママンキーを好きにならずにはいられない、珠玉の一冊★★★★
(以下、非常に個人的な感想です)読みながら、すごく気が散ってしょうがなかった。というのが、この物語の舞台になっている都内某所が友だちの家の最寄駅なのだ。このあいだ遊びに行ったときに駅周辺、半径300m以内は極めたので(特にスーパー)、あの街の様子がありありと浮かんできて物語に集中できない。。。でも確かに、高級住宅街と学生街が入り混じったような不思議空間なのな。友だち曰く「相続税対策と防犯対策とで、ひとり暮らし専用のコーポを建てるひとが多い。高齢者と若者が多くて、子供が少ない街」なんだとか。うーむ、これも都会の縮図なり。
あたしはシモネッタ。
幸せって思いがけないときにくるものよね。

クリスマスイブのこと。仕事を終えたサンタクロースの手元にひとつの人形が残った。はて、だれの分だろう?クリスマスに人形をもらわなかった子は・・・パソコンで検索したサンタはびっくり仰天。女の子が六人、男の子が二百三十四万八千百六十七人。「もう夜もふけた。いくらなんでも、こんなに大勢探しまわるわけにはいかない」

さぁ!最後のプレゼントは誰に渡すべきか?早く仕事を終えたいサンタがイブの夜更けに人形を片手に右往左往するというユニークな物語。

家族芝居

2005年6月6日 小説
善男さんは、どうして「八方園」の婆さんたちの世話をしているんだろう? 元アングラ劇団スターの善男さんと7人の陽気な老婆たちの奇妙な共同生活。そこに医学部を目指す浪人生の「僕」が乱入して・・・

いじめの時間

2005年6月1日 小説
ISBN:4101339619 文庫 稲葉 真弓 新潮社 2005/03 ¥460
江國香織、角田光代、湯本香樹実。柳美里ら7人の作家が、「いじめ」をテーマに描いた短編集。

スノードーム

2005年5月27日 小説
これはなによりも芸術家と芸術についての物語であり、作品とそれを創造する人間の物語だ。そこには芸術を通してしか世界と関わることができず、人間的な交わりや愛を経験できなかった者の願いが描かれている。・・・人は人を愛するが、それは相手のことを完全に知らないからという場合もある。相手を完全に理解したとき、愛は憎しみに変わりうる。もちろんその逆もありうるのだが。
『チョコレート・アンダーグラウンド』のアレックス・シアラー最新作。かなわぬ恋について、誰もが語るのを拒みたくなるような秘めたる憎しみについて、狂気と紙一重の愛について・・・描かれているじつに濃密な作品。あるいは、ひとは神の視点を持つことで、どこまで残酷になれるのだろうか?という壮大なテーマが底辺に流れる重厚な物語・・・とも言えるだろう。しかし、美しい。異形の芸術家エックマンが踊り子とめぐり会う場面は、息をのむほどに美しい。アルモドバル監督の『トーク・トゥ・ハー』に通じるところあり。★★★★
祖父はどうしてこんなに膨大で緻密な「嘘」をしたためていたのでしょう?そして、なぜそれを自ら封印してしまったのでしょう?手帖が記された時期は、クラフト・エヴィング商會の歴史において、祖父自ら「冬眠」と名付けた空白の期間に当たります。この長い長い冬の眠りの中で祖父はいったい何を夢見、何を商おうとしたのか・・・雲をつかむような冒険物語。記憶と忘却をめぐるファンタジー。
クラフト・エヴィング商會を愛する「見物客」の皆さま必読。この本がおそらく原点です。
卓球詩人の「ピング」と「ポング」は、いわゆる吟遊詩人である。定住を好まず、詩を作り歌いながら世界を旅してまわっている。・・・彼らの詩は、すべて二人の共作なのだが、彼らは詩を書くとき、かならずきまって「卓球」をするのだ。常に持参している携帯用の卓球台を設営し、「書記」を一名と「見物客」を呼び集める。それから、数回の手慣らしなどをしたのち、「では、始めるでござる」「よいでござる」の合言葉とともに、玉をひとつ打つたび、即興的に詩の一行を歌い上げてゆく。

祖父が残した「永遠に未完の事典」にはたくさんの不思議な物が詰まっていた・・・遊星オペラ劇場、天使の分け前、睡魔、夕方だけに走る小さな列車、ガルガンチュワの涙、忘却事象閲覧塔etc.etc.上記の『クラウド・コレクター』の姉妹版。。。

ところで、クラフト・エヴィング商會の、おふたりの吉田さんの正体がわかりました。にやり。ピングとポングでいらっしゃったのですね。名作『じつは、わたくしこういうものです』も一緒にいただくと、まことに美味しゅうございます。ごっくん。
ワニがあんなに固い鎧をまとって自分の殻に閉じこもっているのはなぜなのか?人間に近づこうと絶望的なまでに努力を試みてきたゴキブリが、永遠に片想いから逃れられない理由はどうしてなのか?・・・学者でないぼくは提案したい。いっそ思いきって、まったく新しいアプローチの仕方を試みるというのはどうだろうか。
というわけで、アクセル・ハッケがうちたてたのは「情緒あふれる博物学」そして「繊細な感性によるハートフルな博物学」。このひとの本、やっぱりすごく可笑しいんです。あまのじゃくさ加減も好感度大。

二時間目 国語

2005年5月17日 小説
◆朝のリレー(谷川俊太郎)◆スーホーの白い馬(大塚勇三)◆永訣の朝(宮沢賢治)◆最後の授業(アルフォンス・ドーデ)◆野ばら(小川未明)etc.etc.時代を越え、小・中・高校の国語教科書の中からかつての子供たちに愛された名作を収録した本。
とりたてて早熟な子どもではなかったので、中・高時代は太陽の下で走りまわってました。国語なんて大っ嫌いだったし、成績はいつも低空飛行。読書感想文の時間には「どうして感想なんて述べないといけないんですか?感動をひとと分かちあわないといけないんですか?」と書いて、悲しげな目をした先生からお呼び出しを食らいました。なのに「いまになって読むと、どうしてこんなに深く染みるんだろう」って帯のフレーズは、本当にそうなんですよね。不思議です、国語の教科書。

優しい音楽

2005年5月12日 小説
一緒にいる時間が増えていくと、
少しずつ他人じゃなくなっていくんだね。

どこか相手の核心に踏みこめないふたりが、じんわりと新しい関係を築いていく様子を描いた表題作『優しい音楽』が特に良。出会いの場面なんて「くふふ、あはは、いひひ」という感じに、顔がほころんでしまふ。一目惚れにも、ぎこちない沈黙にも、身に覚えあり、なもので。
さて、晴れて恋人に昇格したふたりが、わらび餅を大量に作りすぎて、顔を見合わせて感動するとか−そういう描写って、まぶしくて、せつなすぎる。何もしないでも、ふたりでいるだけで幸せ♪というような状況って、この先訪れることがあるのだろうか・・・とやや悲観的になりそうなくらい、それはあまりにも混じり気のない幸福なのだ。だからこそ、後半の展開は『優しい音楽』を奏でるのよね。★★★
おまえはなんだって、壁の向こう側をわざわざ見ようなどと思うのかね?どうなっているか知りたいのなら、想像してみればいいじゃないか。ゆっくり落ち着いて、目を閉じてだな、その向こうの世界を自分で思い描いてみればいいのだ。おまえだって、子どものころは、それがあたりまえのようにできたのだぞ。両目を開けたままでもな。もう、やりかたを覚えていないのかね?どうして忘れてしまったのかね?
ある日、ふらりと僕の部屋にあらわれたのは―僕の人差し指サイズの小さな王様。どうやら彼の世界では僕らとは正反対に、ひとは歳をとると「だんだん小さくなって」ゆくらしい。「いろんなことをひとつひとつ忘れていく」ことも立派な成熟とみなされるらしい・・・気まぐれな王様と僕の珍妙なやりとりには、思わずにんまりとしてしまうのでした。

カフェー小品集

2005年4月25日 小説
カフェーはきっと悲しみの数だけ存在するのでしょう。否、正確にいうならば、悲しみの数だけ、もう二度と入ることのないカフェーが生まれるのです。
先日、青い喫茶店ソワレでお会いした方に、この本をいただきました。七色のゼリーポンチをいただきながら、つくづく、このようなお店がほそぼそと息づいている京都という街はやはり、相当芯が強いのなとあらためて思いました。ちなみに、この小品集のなかに「タンゴが流れる諦念の喫茶店」として紹介されている『クンパルシータ』には、ときどき足を運びます。詩的な空間なのです、とても。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/machinoibushi/woman/woman02.html

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