働きすぎの時代

2005年10月6日 新書
いたるところから働きすぎの悲鳴が上がっている・・・グローバリゼーション、情報技術、消費社会、規制緩和などに注目して今日の過重労働の原因に迫る。まっとうな働き方ができる社会を作っていくために、いま何が必要なのか。

言うまでもなく、私が読むべき本ではないわけです。
「ふだんごはん」に使える170品目のレシピとコツがぎっしり詰まった本。カツ代さんの独特の語り口が魅力。大さじとか小さじとか、そういうややこしいことは言わない。「ちょろちょろっと」「じゃーっと」「たらりと」「どぼっと」で、わかるひとにはわかるわよね?というような強気な感じで書かれているのだけれど、確かにわかりやすい。
「下流社会」とは具体的にどんな社会で、若い世代の価値観、生活、消費は今どう変わりつつあるのか。マーケティング・アナリストである著者が豊富なデータを元に書き上げた、階層問題における初の消費社会論。
説得力がある話は多いのだけれど、違和感を感じる部分も少なくない。前作『ファスト風土化する日本』を読んだときも同様のことを感じたのだが、この手の話はカテゴライズすればするほど、記号化すればするほど・・・個人個人のひととなりや、暮らしや、そういう肝心なディテールの部分が削げ落ちてしまって、ただただ寒々しい話に終始してしまうような気がする。著者はマーケティングが専門なのだから、当然といえば当然なのだけれど。
ゴジラ、ガメラ、ガンダム等、男の子が好きなものの名前にはなぜ濁音が含まれるのか。カローラ、カマロ、セドリック等、売れる自動車にC音が多いのはなぜか?すべての鍵は、脳に潜在的に語りかける「音の力」にあった・・・
脳科学、物理学、言語学を駆使して、「ことばの音」のサブリミナル効果を明らかにするという本。著者が息子さんを育てた実感から「ぱいぱい」と「まんま」について熱く語っている章が面白かった。
しかし、私はもう一度だけ、問いたいのだ。あなたが目指している社会、弱い人や危険な人はいっさいおらず、誰もが「私たちの国や国民は優れているのだ」と諸外国に対して毅然と胸を張り、「お先にどうぞ」「負けるが勝ち」などといった腰抜けな態度は改め、簡単に「軍」と名のつく集団を備えて「万が一のときは自分の国は自分で守る」と宣言できる社会になれば、あなたやあなたの大切なひとは本当に幸福になれるのか、と。「きれいごと」は、本当に何の役にも立たないものなのか、と。
「安心」を得るための読書はやめようと常日頃から思っている割には、新刊が出るとつい購入してしまう香山リカさんの本。学生さんと日頃、接していると、言葉にならない澱のようなものもたまってきたりするのだけれど、香山さんの本を読んでいると、「そ!それそれ、そうなんです!」と膝を打ちたくなるような瞬間が多々あって安堵する。こういうところで「共感」などしていてもいいのだろうか、と思うところなきにしもあらず、なのだけれど。
琵琶湖周辺の里山を撮り続けている写真家 今森光彦さんのエッセイ集。仰木の棚田が四季を追って紹介されていて、すごく素敵。こんなに近くに、そんなにいい場所があったなんて・・・今度行ってみよう。

沖縄生活誌

2005年9月14日 新書
11人兄弟の末っ子で兄弟唯一の戦後生まれ。公務員であるかたわら詩人でもある著者が、沖縄の日常の生活を歳時記風に紹介したエッセイ集。旧正月・お盆などの年中行事、唄・踊り・食など民俗文化、基地や沖縄戦の影など、日々の暮らしのなかに、沖縄の森羅万象が顔を出す、味わい味深い沖縄案内

本書では、ガイドブックではあまり触れられることのない島の変化に富んだ素顔を通して、自分なりに感じた沖縄・奄美の島々の魅力を伝えるよう心がけたつもりだ。内なる異境――南島の秘める多様な味わいを、少しでも汲み取っていただければありがたい。(「まえがき」より)
と、前書きにあるように、奄美以南の島々を旅して歩いた著者の旅行記なのですが、ひとつひとつの島について割かれているスペースが少ないので、導入で終わってしまっている気がなきにしもあらず。八重山フリークとしては、もっと深い部分が知りたかった。個人的には、点から点へ移動するよりも、島は面で向き合ったほうが楽しいなぁ。
「医療の市場化」が日本に導入されようとしている。過疎の村で奮闘する異色の医師が、それがもたらす「所得格差」に警鐘を鳴らすとともに、公平な医療とは何かを鋭く問いかける
仕事用の資料読み
え〜、念のため〜。ただいま仕事中です。
何してんだか、ワタシ・・・働け、ワタシ。
締め切りは今週中です。目を覚ませ、ワタシ。

が、しかーし、この本が読みたい。うずうずする。
帰り道に本屋さんにダッシュです。
現在の日本で起こっていることの多くは、アングロ・サクソン経済で20年前に起こった変化の繰り返しに過ぎません。「戦争」と「弾力的な市場」のホンモノの信奉者にいわせると、こうした苦には要するにのろまなのであり、既得権益を屈服させ、必要とされている改革を実行する政治的勇気に欠けているに過ぎないのです。―グローバリゼーションが加速するなか、雇用機会や賃金において拡大する不平等に歯止めはかかるのか。「働くということ」の意味を問い直す一冊
なんというか・・・読みにくい本。
イワシの群れはうつくしい。突然に方向を変えることもあれば、ドーナツを作って回り始めることもある。竜巻のようになったり、巨体の魚が近づくと、群れは2つにさーっと分かれて、魚が通り過ぎたところからまたひとつに重なっていく。三次元の立体的な形が、見ているそばから変化する様子は、まるで雲が形を変えていくのを早送りで見ているように、刻々と変化して飽きない。
「動物たちはどうやって水族館に来るの?」「死んだ魚は食べちゃうの?」「誰の食費がいちばん高い?」といった素朴な疑問に、水族館のプロが答えるという本。いまマイブームが水族館なのもので。。。  

幼き日々「海水浴と行く」といえば向かう先は琵琶湖、「水族館に行く」といえば向かう先は、大津の淡水魚水族館(非常に地味)と相場が決まっていたので、どちらかというとしょっぱい海水と色あざやかな魚には縁遠いのでした。つい最近になって、初めて沖縄の「ちゅら海水族館」に行ったのですが・・・まさしく楽園、ここにあり。(そんじょそこらの子どもには負けないくらい)大興奮してしまいました。というわけで、水族館をあなどることなかれ、というのが最近の教訓です。
何によらず、誰かが何かを論じているとき、果たしてその人がそのことを論じるに充分な知識と能力を持っている人かどうか吟味してみる必要がある。次に、その人が情報というものをどれくらい扱いなれている人であるかを吟味してみる必要がある。情報を職業的に扱ったことがない人は、情報を扱うことの怖さを知らない。
前半は「情報の収集・整理方法」について書かれているのだけれど、何せ84年発刊の本なので、かなりアナログな感あり。後半の『聞き取り取材』の心得とか、『猜疑の精神』あたりは時代を越えて、参考になる・・・というか耳が痛いです。
カクレクマノミを主人公にした『ファインディング・ニモ』(2003年公開)の物語は、著者によると生物学的にはこういう展開になるらしいです。「まずお母さんがいなくなると、お父さんはやがて性転換してメスになる。そして卵から孵化した稚魚は浮きあがって流されていってしまうので、イソギンチャクで一緒に住むようになった『息子』は、実の子ニモではなく、どこかで生まれて流れ着いた他人の子と入れ替わっているはずだ。それに稚魚のときはまだ未成熟なので、息子とも娘とも呼ぶことはできない」

なーるーほーどー。でも、もしも映画館で横に座ったひとにこんな解説をされたら、百年の恋も冷めるというか、かなりげんなりしちゃうわよね。ちなみに、我が父はこういう嫌味な解説を嬉々としてするひとなのでした。やれやれ。
Q.私は良い子になりたいのに、どうしてもなれません。家族と一緒にいると、どこか体が緊張してしまうのです。お母さんがため息をつくと、お腹が痛くなります。でも、そんなこと言えない。どうしたらいいのでしょう?(12歳の女の子)
といった子どもたちの悩みに、重松清さんがお答えするシリーズ第2弾。質問内容もユニークなんだけど、重松さんの解答もやはり良。「親の期待に応えようと苦しまなくたっていいんだよ。そんな期待、裏切ったっていいんだよ。でも最後の最後で親の『信頼』だけは裏切らないこと−それが大切」とか、そんな感じ。子どもたちを丸ごと抱きしめる感じがして、やっぱりいい。

うんうん、確かに子供の頃って、親のため息や舌打ちひとつで、胸がきゅうっと痛くなったりしたんだった。まだ、そんなに世界が広がりを持っていない頃って、親の存在がすごく絶大だったりするのよな。。。数々のお悩みを読んでいたら、「そうだよな、子どもの頃ってすごく真剣に身構えちゃったりしてたよなぁ」と思い返して、ちょっとしみじみしてしまいました。
若者たちの中に「確固たる自信のなさ」とでも言うべき気分が蔓延しつつあるのは確かなように思われる。・・・雇用条件の悪化による「若者の弱者化」がこれに拍車をかける。・・・
「一人勝ち」のはずの堀江社長ですら、熱狂的に支持するわけでもなく、かといって羨望するわけでもない。「ホリエモンだからしょうがない」などと半ばはあきらめ顔で、彼の「パフォーマンス」を楽しんでいるのだ。それは絶対的な「勝ち組」に向けられる視線ではない。堀江のような立場ですら、無条件に「勝ち組」とはみなされ難いという事実をわれわれはどう考えるべきだろうか。リアルなのは「負けた」という意識のみで、「勝ち組」の存在は、その原義通りに幻想でしかなかったのだろうか。
精神科医 斎藤環さんが最近生み出した新語は「負けた教」らしい。うーむ、今後の浸透率が気になる。エッセイ寄せ集めという感じの新書なので、「負けた教」のことばかり書かれているわけではなくて、韓国のいじめ、あるいはひきこもり事情についても詳しく書かれていて、こちらのほうが興味深かった。

若者たちは「自信を持っているそぶりを見せれば、批判のリスクにまっさきにさらされるので、負けたと思い込むことで、かろうじてプライドを温存している」というのは確かに納得。普段、学生さんと接していても感じるところあり。「自信がないから無理」「難しくてわからない」「私にはできない」と真っ向から言われるのは、案外こちらのほうがタジタジしてしまうのだ。本人は無意識なのかもしれないが、なかなか攻撃的なせりふなのだと思ふ。
 
 戦後日本における万博の歴史とは、第一に、知識人たちの理念が繰り返し博覧会協会のちぐはぐなシステムのなかで挫折してきた歴史であり、第二に、会場となった列島の丘陵部や沿岸部とその後背地が、他の国家的なプロジェクトと連動しながら開発され、その自然景観を変貌されてきた歴史であり、第三に、そのようにして誕生した代わり映えしない未来都市に膨大な大衆が自分たちの「豊かさ」を確認する舞台を見出していった歴史であった。しかし、最後に、そうした歴史の周辺部で、この高度成長以来の幻想のシステムを内破していくポテンシャルをもった市民たちが、少しずつ育ってくるもう一つの歴史でもあった。
結論が簡潔にまとめられていたので、引用しましたが、この本に書いてあるのは要するに、上記のような内容です。ともあれ、万博跡地に「みんぱく」が残されたのは、幸福な軌跡だと思います。大阪が世界に誇れるのは「たこ焼き」ではなく、「みんぱく」でしょう、やはり。
完璧な人間がいないのと同様に、完成された関係などはない。これはあきらめの言葉ではなく、ましてや絶望のそれではない。未完だからこそ、希望もあるのだ。誰かといっしょに暮らしていれば、互いに戸惑ったり驚いたり、小さな対立はまぬがれない。だが、それらが何ひとつない静寂を想像してみれば、寂しさとわずらわしさのどちらが幸福に近いか、答えは明白だ。私は人間関係が苦手な性格だが、それでも他者との関係を抜きにした幸福を想像することはできない。
ルームシェア、学生寮、間借り下宿、住み込み、マンション、コミューンetc.etc.―様々なかたちで「いっしょに暮らす」ひとたちに取材を試みて、「ひとつ屋根の下で暮らす」ための秘訣を探る、というまことに興味深い本。著者自身、人間関係が不得手だからこそ、「いっしょに暮らす」ことについて、他者と自分とのあいだに亀裂が生じないためのコツについて、深く考えてしまうタチらしい。(はぁ・・・同感)「子供の頃、修学旅行が近づいてくるのが心配だった。朝から晩まで、夜寝る時間まで他人といっしょに過ごすことが怖かった」というあとがきも、他人事とは思えず。「確固な絆は人を縛るが、不確かな絆は人を思慮深くする」というのは、ぢつに名言だと思います。
過去の歴史を仰々しく語るのではなく、今彼女たちが生きる姿を見つめることで、語りうる歴史があるだろう。私には確信があった。なんとも言えない魅力的な笑顔、ごつごつした手のしわ、朝鮮語と日本語がまじった美しい響きの言葉、日常の中ではお茶わんを洗う姿や立てひざをついてごはんを食べる姿・・・そのすべてに間違いなく深い深い歴史がきざまれている。
温泉旅行へ行ったり、遠足に行ったり、銭湯に入ったり、一緒にごはんを食べたりetc.etc.何も特別なことではないけれど・・・これまで自分のために時間を使うことがほとんどなかった在日一世のはんめ(おばあちゃん)たちが「青春を取り戻す」様子を追いかけた映画『花はんめ』。金聖雄監督の書いた第二章を読んでいたら、言葉のひとつひとつがひたひたと胸にしみこんできて、何としてでもこのドキュメンタリーが観たくなってきた。「ハワイアンミュージックが流れる大型スーパーの水着売場で、黄色い声を響かせながら水着を選ぶ」はんめたちに、私も会いたい!
http://www.hanahanme.com/

さらに注目の対談を発見!
http://www.tbs.co.jp/radio/np/eye/050416.html
コミュニケーションの現場では、理解できたりできなかったり、いろんな音が聞こえてくるはずなんです。それを「ノイズ」として切り捨てるか、「声」として拾い上げるかは聞き手が決めることです。そのとき、できるだけ可聴音域を広げて、拾える言葉の数を増やしていく人が、コミュニケーション能力を育てていける人だと思うんです。もちろん、拾う言葉の数が増えると、メッセージの意味は複雑になるから、それを理解するためのフレームワークは絶えずヴァージョンアップしていかないと追いつかない。それはすごく手間のかかる仕事ですよね。
薄ら寒くて、毒毒しくて、まことにうなずけて、プププと笑える対談集。こんなに毒吐いちゃっても、仕事に差しさわりがないおふたりが、うらやましいです。★★★★  
いま、『コミュニケーション能力』という言葉が、危険なほどに蔓延しているけれど、その本質まで言い表しているようなレクチャーは、驚くほど少ない。多少セミナーなんぞを受けている大学生は、異口同音に「自分を表現する力だけではなく、聞く力が大切なんだと思います」と言ったりするのだが、そこには何かが決定的に欠けているような気がするのな。興味関心がともなわなければ、言葉は心には響かないということが、どこかに置き去りにされているような気がするのだ。「ひとは、そのひとの知識の量に応じてしか、世界は見えない」と、どこかのセンセがそんなことを言っていたが、我が身を振り返ってもそのせりふ、イタイです。(T_T)

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