ふきのとう、山うどの芽、葉山椒、たんぽぽ、白いちじく、金時にんじんなど-野のもの、里のもの、雑草とされるものの中から、素材の持つ力を一杯に引き出した料理の作り方と自然の様を紹介する。京都・銀閣寺畔でいま評判を呼ぶ和食店主人の、初の料理書。
ますます「草喰 なかひがし」に行きたくなった。いまから予約したとして・・・いったいどのくらい待たないといけないんだろう。ちょっと、不安。
5万円の豪邸やネコ専用ハウス、賃貸物件や談笑スペース、竹やぶの家etc.いわゆる路上生活者の家「ダンボールハウス」を訪問し、それぞれの家を詳細なイラスト入りで紹介した、異色のお宅訪問レポート。
元原稿は建築学科に在籍していた著者の卒業論文らしい。とてもユニーク。調査期間は3年というから、ずいぶん加筆されているのかな。レポートにまとめたダンボールハウスはじつに70件。各家主の「こだわり」や「生き抜く知恵」や「撤去されない工夫」も面白いのだけれど、著者がコミュニティに溶けこんでいく過程が描かれているのも興味深い。「お互いの理解を深めるために(じっくりと)1ヶ月くらいはカオダシに努める」とか、さらりと書いてあるけど、息の長い話だなあとつくづく思って感心する。

「必要最低限のモノ」に囲まれた生活とはいっても、ひとつひとつの家にそれぞれの表情があって、何がそのひとにとって必要不可欠なのかというのも、すこしずつ違うのだ・・・という、当たり前のことにあらためて気づかされたりする。家の主の顔が一度も登場しない割には、じつに表情ゆたかな家たちなのです。

とはいえ、この調査が終了した後、愛知万博の開催に先だって、ダンボールハウスはすべて撤去されたのだとか。あとがきにあるように、「本書は、かつて都心の一等地に存在した究極の家のドキュメント」として記録され、記憶されることとなった模様。
あのころ、いつもわたしのそばには、わたしの心や考えをまったくしばらない優しい父と母がいてくれた。そんな自由な子供時代の話から始めましょう--やりたいことがありすぎて学校をさぼってズル休み。にわとりの卵の観察日記をつけたり、漫画家を目指したり・・・内気なカツ代ちゃんが人気料理研究家 小林カツ代に変身するまでの半生記
ほがらかなのに、確固たる意志を持っていて、大胆にして、繊細。やっぱり好きです、カツ代さん。
雑誌クウネルの人気企画「エブリデイ・マイ弁当」に新たなお弁当をプラス。お弁当作りが大好きな人たちの作り方の工夫やコツがぎゅっと詰まった、おいしい1冊。
連載時からずっと読んでいたのですが、続けて読むとまた違った面白さがあって◎ひとりひとりの顔かたちが違うように、お弁当にも表情があるみたい。誰かのために作るお弁当と、自分のために作るお弁当では、気持ちの持ちようが違ったり・・・作り手の雰囲気とかプロフィールを見ながらお弁当を眺めると、みょうに納得がいったり、意外だったり。そういえば、中高生の頃って、隣のひとのお弁当の中身が気になったりしませんでした?そういう感覚を思い出す、愉快なお料理本。
中年が何らかの魅力を誇れるとしたら、退屈を紛らわす知恵と教養くらいである。若さに異様な高値がつけられる社会でオヤジが自らの矜持を保とうと思ったら、オヤジには不可能と思われていることをさりげなくやってのけるほかない。若者は不器用でも美しければよいが、オヤジが不器用であることは救いようがない。・・・そこで、中年よ、包丁を取れ、と私は叫びたくなる。・・・最初は見返りなど求めてはならない。とにもかくにも他人に自分を食べてもらうつもりで。キッチンに立つのだ。
そんなことを「美しい中年」の島田雅彦氏に言われても、説得力がないです。お料理だってどう見ても、さりげなくないし。神は二物を与えるということで、仕方ありませんね。やれやれ。

洋食や

2005年9月21日 衣食住
洋食や
小津安二郎のグルメ手帖にも出てくる『たいめいけん』のご主人が書いた『洋食や』の心得など。内容うんぬんよりも、単なるジャケ買い。この装丁に惚れました。函入りなんだけど、外も内も素敵。
世の中に、旨いものは、数多くある。が、この旨いものを、独り占めするほど、虚しいことはない。旨さを、人と分かち合うことによって、はじめて旨さが生じてくるような気がする。--父・檀一雄との食にまつわる思い出、日本から南米にいた食紀行など、檀(太郎)流食談義。
何度も繰り返し書いていますが、檀家のひとたちが描く父上、檀一雄氏はとてもチャーミングで、愛さずにはいられない人物です。太郎さんが南米から帰ってきたときに、生まれたばかりの孫、一平太君を座ぶとんごと引きずってくる父上のエピソードなんて、思わずホロリ。
うちの料理に欠かせない一品といえば、やはり茄子の葡萄炊きでしょうか。まず天地を切って丸い形にしてから、包丁を突っ立てて皮を薄く細く削いでいく・・・名前の由来は、翡翠のようなきれいな緑色から。葡萄のアレキサンドリアのような、じつに美しい色味の一品です。
関西割烹「つる壽」のご主人の語り、平松洋子さんの聞き書き-という贅沢な一冊。写真入りで紹介されているお料理がおいしそうなのはもちろんなのこと、文章の平松さんの文章のなんと清々しいことよ。隅々まで奥深い「つる壽」のご主人のお話に、思わず背筋が伸びる心地がするのでした。
大きなトマト 小さな国境
スペイン、ポルトガル、ギリシア、イタリア、フランス-トマトとトマトのある台所を渡り歩いて、食文化の原点を探るというカゴメの本。写真も良。絶版。旅先で会うのは、ごくごく普通のお母さんたちだったりするのだけれど、何しろトマトについては一家言あるひとたちなので、語られる言葉にも含蓄があるのです。「世の中の冒険は難しい。でも台所の冒険ならできる」なるほど、なるほど。

豆腐道

2005年9月3日 衣食住
僕は、お客さんにどれだけ苦労して来ていただけるかが、付加価値だと思います。ですから、値段を上げての付加価値というのは一切思ったことがないですね。
先日、嵯峨野にある豆腐屋「森嘉」のお豆腐をいただきました。そのつるりとした喉ごしに、思わず舌をまいたのですが、この本の語り手は、その「森嘉」のご主人。一見ぶっきらぼうな語り口だったりするのですが、なるほど納得の味なので、上に異議なし。いかにも京都のひとらしい物言いやなぁとほくそえんでしまいます。 
沖縄と八重山の島ごはんを紹介するケンタロウ君の最新刊。はっきりいってセレクションが抜群。石垣島ラー油のぺんぎん食堂に潜入取材をしたり、西表島の「はてるま」の女将さんに料理を習ったり・・・ケンタロウ君、あなたのツボは最高!紹介されている料理も素材の組み合わせがいいので、この本を読めば、沖縄料理が間違いなくおいしく作れるはず。基本的に沖縄料理って時間がかからないものが多いから、らくちんでいいのよね。去年も行ったけど、「はてるま」また行きたいなぁ。こんなふうに紹介されるとひとがドッと押し寄せそうなので、そろそろ予約を入れておくかなぁ、といってもまだずいぶん先の話。
歴史を振り返ってみるなら、多くの芸術家は食いしん坊だった。それは単に食欲の問題である以上に、彼らが生来的に抱いていた、世界に対する貪欲な好奇心に見合っていた。ある者たちは優れたレシピ集を残し、別の者たちは後世の伝記を通して、その健啖ぶりが伝えられた。彼らは、洋の東西を問わず、ラブレーの子供たちなのである。本書は、過去の書物を読むことと未知の料理を前にすることこそが人生の悦びであると信じる、ひとりの批評家によって書かれた、実験レポートである。
だいたい目次を読んだだけで、思わず膝を打ちたくなるような、グッとくるラインナップ。

・ギュンター・グラスの鰻料理
・立原正秋の韓国風山菜
・ジョージア・オキーフの菜園料理
・小津安二郎のカレーすき焼き
・マルグリット・デュラスの豚料理
・ポール・ボウルズのモロッコ料理 etc.etc.

この魅惑的な料理の数々を「作ってみて」「食べてみる」ということだけで十分に前代未聞。しかも実践したのは四方田さん。帯にあるように、すみからすみまで「舌と脳と胃袋で考える、食をめぐる実践的文化試論」なのです。もう何も言うことはありますまい。ごちそうさまでした。★★★★

ちなみに、このような本が出版されるのを、私はずっと心待ちにしていたのです。『食卓の上の小さな混沌』を読んで以来、ずっと。この『食卓の上の・・・』は絶版本でなかなか入手がむずかしいのですが、すごく素敵な本。お母様へのオマージュとして書かれた四方田さんの「食の記憶」。「海鼠を育てる」というエッセイなんて特に良。
テーブルの上のしあわせ
テーブルの上のしあわせ

最後の昼餐

2005年8月27日 衣食住
最後の昼餐
娘の結婚、還暦、癌の宣告。それでも、人生をよりよく楽しむ人でありたい。料理に腕をふるい、海外旅行を楽しみ、庭仕事にも精を出す。自称"イタリア系日本人"の本懐。カラーイラスト日誌付き。

作家のかくし味
お母さまがスウプを召し上がる時のスプウンみたいに、お箸をお口と直角にして、まるで小鳥に餌をやるような具合にお口に押し込み、のろのろといただいているうちに、お母さまはもうお食事を全部すましてしまって・・・『斜陽』太宰治

小説のなかに出てくる料理の数々を再現し、写真つき、レシピ付きで紹介するという本。実際に本人が作ったりもしていて、その腕前のほどが、なかなか興味深い。他にも太宰治の『斜陽』に出てくる、あの「グリンピイスのスウプ」を再現したり、宮沢賢治の「特製御葡萄水」を作ってみたり・・・活字中毒者にとっては、文字通り「おいしい本」。葡萄水の作り方の章では、「葡萄は発酵すると葡萄酒になってしまい、酒税法にひっかってしまいます。くれぐれも趣味の域で作りましょう」とわざわざ但し書きがしてあるのが、こころにくい。
後年、母とこのことをよく話した。夜食をとると太るし、睡眠も妨げられるし、良いことはなかったが、思い出が残った。残された家族が、思い出として話すことができるのは、長い年月がたち、私たちのうちに確かな位置をしめたからに違いない。
「仕事が進んでいないとき」であったのか、ふいに家族に声をかけ夜食に誘う小説家の父、立原正秋。それはどこか苦痛で、緊張感を強いられる夜更けの食卓であったが、いま思えば大切な時間だった・・・とつづる息子の潮氏のまえがきが、胸にしみる。父上が生前好んだ食卓を再現したのは、料理人になった息子、潮氏。とにかく細部まで細やかな本。料理がおいしそうなのは当然だとしても、器の趣味まで超一流。李朝白磁や高麗青磁の、こっくりとした肌合いの、なんと上品なことよ。10年前に出版されたものとは思えない錆びない美しさに、嘆息。
わが家の夕めし
残念ながら絶版ですが、この本、すごく好き。作家、俳優、映画監督、料理研究家etc.etc.が「わが家の夕めし」を写真入りで紹介していて、アサヒグラフにかつて連載されていたものらしい。「えっ、こんなひとが?!」と目を見張るようなひとがゴロゴロ登場していて、なおかつ家の中まで公開してしまっているという、なんとも大胆な企画。昭和50年前後の家族の情景というのも、自分の幼い頃と重なって、とても懐かしい。以下、非常に興味深かったひとの食卓の例を・・・

*遠藤周作(メザシをかじっている写真つき)
奥さんが「食べものに金銭を浪費するのは愚劣だと思っているくちなので」と前置きをしたのち、「とはいえ、自分の家の食卓はあまりにも質素すぎるのではないか」と、紙面を借りて、愚痴を少々。かの大文豪が「時々、夢で血のしたたるビフテキを食っている自分の姿を見る」のだそうです。

*谷川徹三(哲学者。谷川俊太郎さんのお父様)
器の趣味の良さがピカイチ。バーナード・リーチの蓋物を普段用で使っていらっしゃることに絶句。

*荒畑寒村(社会運動家)
なかなか美味しそうな食卓なのに、いままで食べたもので何がうまかったかという話になるとやはり「監獄料理」なんだとか。この「監獄料理」の話はとても面白いのですが、いかんせん絶版で入手困難。

*麿赤児(舞踏家・大駱駝館主宰)
写真中央、手づかみでごはんを食べている少年(ほっぺたにはごはんつぶがついている)は、「南朋ちゃん」と書かれていますが、まがうことなき、大森南朋氏そのひとです。ファンなので、ちょっとドキドキ。

*井上ひさし(子供たちがなにやら不機嫌そうな写真とともに)
前歯をのぞくほとんどの歯が虫歯だという井上氏は、「食事に対してまったく無頓着」で、「やわらかいものが食べたい」ということ以外に望むことはないのだとか。だから「家人が世にもまれな料理下手」だったことは幸いなのだが、「ハンバーグと揚げたチーズと生にんじんの絞り汁の献立は、週に何度も繰り返され、子供たちのひんしゅくを買っている」とのこと。なるほど・・・
祖父が手仕事のひとだったからか、木肌のぬくみが残っているような日用品に、なんとなく目が引き寄せられます。けっして饒舌ではないけれど、そこには職人さんの心意気がそこはかとなくのぞいていて・・・それでいて、ひと筋縄ではいかなさそうなところがなんだかいいみたい。この本のなかには、いろいろな和雑貨が紹介されているのですが、やはり気になるのは「井川メンパ」。その混じり気のない美しさに、ますます心惹かれます。
檀流エスニック料理
韓流ならぬ、檀流はどこまで続くのか?という感じですが、この一冊でもう終わりにします(涙)。というわけで、こちらは『檀流エスニック料理』。ただのエスニック料理ではなくて、「しょっつる(和製ナンプラー)」から自家製で作ってしまうという手の凝りよう。さすがに真似できません。でも、キムチ漬けこみ用の大かめは便利そう。ちょっと心惹かれました。ちなみにこの本によれば、檀家は親子二代ではなく三代にわたって食いしん坊の血が受け継がれているようです。太郎さんの息子さんたちも相当ご執心のご様子。さすがというか、やはりというか・・・
新・檀流クッキング
父は毎年梅雨時になると、梅をしこたま買い込んでは、梅に塩をまぶして大きなカメに漬け込んでいた。・・・梅雨が明けてからしばらく経つと、世の中には一斉にシソの葉が出てくる。しかし、このシソの葉、店頭を飾るのはほんの短期間だから、ややもすると買いそびれてしまう。・・・母とてウッカリすることもあるだろう。「アノー、申し訳ありません。つい買いそびれてしまいました」父はこの母の言葉をキッカケに家出をしてしまう。が、二三日もするとニコニコしてご帰館になる、両手にシッカリとシソの葉を抱えてである。
連日、『檀流クッキング』について熱く語っていますが、こちらは息子の太郎さんが書いた『新・檀流クッキング』。やはり、父上のエピソードが可笑しいです。

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