幸田文は、女としての自分を”美”と真反対のところにおいて語ることが多く、またそれを好んでいるようなふしがある。いや、その役を自分に振ったアングルから、必死で何かを見定めようとしていたのかもしれない。いずれにしても、そこからかもし出される滑稽感は比類ない切れ味で、多くの読者を引きつけている。だが、その滑稽感を突き抜けてとどいてくるのは、幸田文のこれまた比類ない美しさなのだ。その美しさの芯に、まさに渾身の姿というものがある。編集者時代の村松さんの回想記。「私はおこがましいが幸田文の友だちのごとき気分となり、一度も原稿をもらっていないのだ」と語る村松さんが、幸田さんのお宅に足繁く通い、お手製のマッチ箱をひとつずついただいて帰ってホクホクするあたりの話が面白い。それにしても、村松さんの編集者時代の話というのはすごすぎる。何しろ、武田百合子さんの料理食べたさに、食事時を狙って武田家を訪問したという方なのだ。百合子さんのごはんはどんな味だったんだろう。あー、うらやましい!
コメント