自分のからだが直接相手に触れる。からだに宿るちからやぬくもりを、指を通して相手に伝え、やわらかく馴じませてやる。それが、手で合えるということ。相手はみるみる手に感応する。葉、茎、皮、それぞれの繊維が「ほどよく」開き、ほぐれ、そして味はしっくりしみこんでゆく。さっさと言うことを聞かないイケズな相手も、そこはお手並みしだい、手練手管ひとつである。
「ナムルをほどよく手で合える」という、しごくありふれたことも、平松洋子さんの手にかかるとこんなに艶っぽい文章に早変わりする。日々のごはんがいとおしくなる。ひとつの食卓を囲み、同じごはんを食べるという行為はたぶん、「伝える」ということにとても似ている。平松さんの文章を読んでいると、いつもそんなことを思う。平松さんの作る料理はモノローグではなくて、ダイアローグ。顔色をうかがう相手がいて、ときには晴れたり曇ったりする、ごく普通の食卓。だけど、なんだか特別なんだな。★★★★

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