「ここは日本家屋の”宝庫”ですね」韓国のとある田舎町で、取材に同行した日本人がこう言った。・・・「懐かしい」という自然な感情にケチをつけたら、その後のコミュニケーションがとれなくなってしまう。植民地支配については、政治家や学者ではない日韓の市井の人々が直に話し合うことが、何よりも重要なことだと思う。話し合いのテーブルにつけなかったら元も子もないではないか。だから、私は「懐かしい」という感情に水をさしたりはしない。その代わり、日本の人たちにも「懐かしい」の後にプラスαの何かを感じてもらいたい、もし、みなさんが住んでいる街に言葉の通じない外国人が押し寄せて来て、一等地に見なれない家を次々に建て始めたら、どう感じるか。ほんの少し想像力を働かせてほしいのだ。
日帝時代に建てられた日本家屋、和韓折衷の文化住宅、昔の姿をそのままにとどめている屋敷etc.etc.植民地の名残りのある街を訪ねて歩いたひとりの韓国人女性ジャーナリストが、ときにそこでたたずみ、思いをめぐらせた記録。
日本人は植民地支配について「あまりにも無自覚な人」と「やたらと反省する人」の二極化が激しいのではないか。いずれのタイプと話をしても、ぎくしゃくとしたものを感じてしまう。韓国人と日本人は、もっと肩の力を抜いて話し合えるはずである。
確かに上記のような感覚には同感。日韓関係のある側面だけを見て、身構えたり、鬱々とした気持ちになっていては、それはそれで進展がない。むしろヨン様礼讃と手放しで「韓国好き」を自称できるひとはまぶしいし、うらやましい。

とはいえ、軽い気持ちでこの本を読み始めると、やはり内容は重さに、ちょっと唖然とするかも。。。でも、事実なのだから仕方がない。「大東亜共栄圏構想」の潰えた夢の残骸に何を思うかはひとそれぞれだけれど、この残滓に「空しさ」を感じるひとたちが逆に少なくなってきているのかなぁ、というのは実感としてあります。

というのが、このあいだ、いささか底意地の悪い感想を書いた『僕の見た「大日本帝国」』という本。案の定というか、なんというか、Amazonでは軒並み絶賛の嵐でした。(驚きを通り越して、軽い徒労感)アジア諸国に残された朽ち果てた赤い鳥居を見て、「こんなところにもニッポンが!」と胸を熱くするひとたちって案外多いみたいです。現代人の拠り所のなさって、かなり深刻なのかしら・・・

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