父は何でも真中の好きな人であったのに、海苔巻に限って、端っこがいいというのである。私は大人は何と理不尽なものかと思った。・・・ひところ、ドラキュラの貯金箱が流行ったことがある。お金をのせると、ジイッと思わせぶりな音がして不意に小さな青い手が伸びて、陰険というか、嫌な手つきでお金を引っさらって引っこむ。何かに似ているなと思ったら、遠足の朝、新聞の影から手を伸ばして海苔巻の端っこを食べる父の手を連想したのであった。我ながらおかしくて笑ったが、不意に胸の奥が白湯でも飲んだように温かくなった。親子というのは不思議なものだ。こんな他愛のない小さな恨みも懐かしさにつながるのである。(向田邦子『父の詫び状』より)
文人たちの食卓アンソロジー。素朴な手料理や、身近なおばんざいにまつわる文章が多いとはいえ、世に言う「清貧」とはひと味違う贅沢な食卓もちらほら。。。やはり書き手の文体と食卓はよく似ているような気がします。

ところで、ひさしぶりに「海苔巻の端っこ」という随筆を読んだのですが、相変わらず隅々まで好きでした。向田さんが生前好んで作った料理を集めた『向田邦子の手料理』という本もイチオシです。

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