ひさしぶりに再読。やはり可笑しい。「京都国体のマスコットキャラクター未来君の黒目がちな目に見つめられると不気味だ」とか「中学生の頃、友だちと外食するというと餃子の王将だった」とか「東京には九条ネギとおあげさんがないので手土産にする」とか、話の地味さ加減に共感する。親が京都出身なわけではなく、バリバリの京都人ではない私でも、肩身の狭い思いをせずに読める京都本。なお、後半の京都カルチャー編(京一会館、ルネッサンスホール、西部講堂、荻書房etc.)もわかるひとにはわかる面白さだと思う。
「河原町のジュリー」の話も懐かしくて、せつなくなってしまう。有名なひとだったのだ。腰に届くほどの見事なドレッドヘアに豊かなヒゲ。警察に保護されてお風呂に入れられても、あっという間に元通り。確かにどこか神秘的で、「ジュリーが歩き回ると火事よけになる」とか「見かけるといいことがある」とかそういう伝説もあった・・・かもしれない。とにかく一目置かれるひとだったのだ。
ローザ・ルクセンブルグの歌に『橋の下』『だけどジュリー』っていう曲があって、高校生の頃はもちろんそらで歌えた。どんな歌詞だか忘れてしまったのだけれど、リスペクトに値する曲だったと記憶している。グレゴリさんが言うように「ジュリーがいなくなって、河原町が少し淋しくなってしまった」という気持ち、よくわかる。だけど、その感覚を共有できるはずのどんとも、いまはもういない。
「河原町のジュリー」の話も懐かしくて、せつなくなってしまう。有名なひとだったのだ。腰に届くほどの見事なドレッドヘアに豊かなヒゲ。警察に保護されてお風呂に入れられても、あっという間に元通り。確かにどこか神秘的で、「ジュリーが歩き回ると火事よけになる」とか「見かけるといいことがある」とかそういう伝説もあった・・・かもしれない。とにかく一目置かれるひとだったのだ。
ローザ・ルクセンブルグの歌に『橋の下』『だけどジュリー』っていう曲があって、高校生の頃はもちろんそらで歌えた。どんな歌詞だか忘れてしまったのだけれど、リスペクトに値する曲だったと記憶している。グレゴリさんが言うように「ジュリーがいなくなって、河原町が少し淋しくなってしまった」という気持ち、よくわかる。だけど、その感覚を共有できるはずのどんとも、いまはもういない。
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