独自の文化の中に閉じこもってきた一民族が、世界史的な潮流のなかで自立しようとするとき、かならず普遍性へのあこがれがある。・・・ベトナムの場合もそれらをベトナム的規模と屈折の中で経たが、結局は兵器になった。唇や文字で説かれる思想よりも、ひきがね一つで相手を目の前で殺傷できる兵器のほうがはるかに普遍性を戦慄的に体感でき、それも万人が体感できるという点でこれほど直裁的な思想はなく、この思想はサイゴン政府軍においても、解放戦線においても、ハノイ政府軍においても変わりはない。
舞台は1973年、内戦下のベトナム。その地を訪れた司馬さんが、泥沼状態の戦争を見つめながら「集団とは?」「宗教とは?」「帰属心の安らぎとは?」何かを考えた現地通信。いま読んでも十分に刺激的。「韓江の奇跡」を支えた韓国軍派遣の生々しい話なんかも登場する。ベトナム最大の新興宗教「カオダイ教」の話も興味深い。

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