当たりまえのことだけど、いろいろな人たちがいた。人が皆、同じ方向を見つめ続けることなど絶対にありえない。でも僕らはいつのまにか無意識に、個よりも全体や組織を主語にしてしまう。その結果、ひとりひとりの個に対しての想像力は消失し、国家にシンボライズされる組織共同体に無自覚にラベルを貼ることで、意識化の納得を試みる。
ベトナムから来た最後の皇子を追ったこのルポが、森さんの著作のなかではいちばん好き。この本がきっかけで犬養道子さんの『花々と星々と』の存在も知った。そしてボースのことを知ったのも、確かこの本だったはず・・・と引っ張り出してきて再読。2冊並べて読んでみると、森さんが見つめたのが「中村屋のボース」ではなく、「革命家の気概に欠ける、何事も中途半端で、孤独なクォン・デ」というのがやはり、なるほど納得という感じ。「右でもなく左でもなく、黒でもなく白でもなく、曖昧でグレイな濃淡が僕らが営みを続ける領域なのだ」というくだりを読んでいると、自分が毎回、同じところに共感しているような気がする(汗)
犬養や当山たちが唱える大アジア主義は、五族協和や八紘一宇、大東亜共栄圏などの語彙に変換され、力を持ち始めた軍部の思想と相まって、皮肉なことにアジアへの侵略を整合化する思想に変質してゆくことになる。
で、『中村屋のボース』という本には、このあたりのことが詳しく書かれています。
かつての日本は、自分たちが当事者であることに対して不思議なくらいに鈍感だった。いわゆる確信犯にならぬまま、多くの事態を引き起こした。アジア主義という「大いなる善意」がいつからか日本民族の優越を誇る選民思想と軍部内のヘゲモニー争いに結びつき、その後の軍国主義や帝国主義に変質した経緯に、この無自覚さは端的に現れている。ここで僕は自問自答する。果たしてこれは過去形なのだろうか?
『中村屋のボース』の著者中島さんは、まえがきにこう書いている。「アジアの時代と謳われる今日、この一人のインド人が歩んだ58年の足跡を振り返ることは、我々日本人にとって大きな意味がある」やはりこの2冊、あわせて読むと理解が深まります。
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