もし純粋に一人称だけで生きてゆこうとする人が現れたら、おそらく呆然と立ち尽くすばかりかもしれません。でも、それでいいんだと思う。いつかはきっと歩き出す。一人称の主語を常に持続することは無理だとしても、主語のギアを変えるときに、もっと軋みや摩擦があってもいいはずだと僕は思う。・・・人は社会的に生まれついたからこそ、個と組織の狭間で悩みつづける。そこに哲学が生まれ、文学や絵画や音楽などの表現が生まれた。・・・ためらいとか逡巡、あるいは優柔不断や葛藤とか、そういう曖昧な領域を、必ずしも否定的に捉える必要はないし、そんな瞬間がもう少し普通にあってもいいと思う。

くふふ。森さんの新刊です。
聞き書きという形がとられているので、森さんの声が聞こえてくるような気がします。  

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