放送禁止歌は実在しない。巨大な妄想でしかない。具体的な放送禁止歌はメディアに帰属する一人ひとりのイメージの中にしか存在しない。いやメディア側だけではなく、歌い手や受け手の側の思い込みもこれに荷担する。ニキビ面をした僕がそうだった。僕の世代のほとんどがそうだった。
やはり名作★★★★「非常にナイーブな問題」と勝手に身構える―ひとりひとりのその態度が、組織を麻痺させてきた。けれど、その根源は徹頭徹尾「僕たち」なのだ・・・森さんの意見はもっともだと思ふ。放送禁止用語だってしかり。言わなかったら差別がなくなるわけでなし。「・・・結局、言葉に罪はないんだよね。使う人の意識の問題なんですよ」まったくもって、なぎら健壱の言う通りだ。

『放送禁止歌』とされる歌を歌ったひとたちのなかには、音楽業界から身を引いたひともいるらしい。いまは小さなイベント会社を経営している山平さんの言葉は、別の意味で重い。
「・・・歌がもし生きていたら、・・・僕は誕生間もない子供を殺されたようなものかもしれないですね。・・・あんな理不尽な規制にあうようなことがなかったなら、もしかしたらまだ今も、僕は歌を続けていたのかもしれないな」

 

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