ちぐはぐな身体(からだ)―ファッションって何?
2005年2月27日 衣食住ピアスやタトゥをすることの意味とは?コム デ ギャルソンやヨウジヤマモトのファッションが問いかけるものとは?そもそも人は何のために服で身体を隠すのか?―鷲田教授が語る「身体論」入門本書が書かれたのは10年ほど前だからか、ある種の懐かしさを感じながら読了。それにしても鷲田さんほど「ぼく」という一人称がぴったりな方は他に知らない(笑)。顔を拝見する限りは、いかにも「ワシ」なのに。でも、<老い>への道を反芻する最近の文章のほうがいいと思う。
余談だが、17歳の頃、私は50を過ぎたオジサンに夢中だった。彼の名前は山本耀司。彼の作る洋服に、というよりはその哲学にぞっこんだったわけで、当時の日記には耀司さんの言葉なるものが逐一メモされている。さすがにいま見ると、顔から火が出るほど恥かしい。ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー作品『都市とモードのビデオノート』のせりふまで長々と書き起こしていて、その根性には我ながら驚いてしまう。
「尊敬できる先生」というのは恋人に似ています。ま、いわばこんな感じだったのだ。
恋愛というのは、「はたはいろいろ言うけれど、私にはこの人がとても素敵に見える」という”客観的判断の断固たる無視”の上にしか成立しないものです。
恋愛が誤解に基づくように、師弟関係も本質的には誤解に基づくものです。(『先生はえらい』)
二十歳の成人式を前に、初めてヨウジヤマモトのコートを買った。正確にいうと、親に買ってもらった。そして「錦鯉みたいな着物」なんかよりも、ヨウジのコートを選んだ自分に、ひどく自惚れた。あっけなくコートに負けていた「まぎれもない事実」を思い出すと、穴があったら入りたいが、あんなふうに気負って洋服を着ていた頃が、ちょっとだけ懐かしい。この本を読んでいたら、そんなことを思い出した。
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