半眼訥訥

2005年1月29日 エッセイ
七四才になる母は、実はわたくしよりも先にインターネットを楽しんでいる自由人であるが、その母が手元にいつもメモ用紙を置き、テレビや新聞で出会う新語を書きとめては、あとで辞書を引いている。・・・しかし、そうして辞書を引く母の少し丸めた背、皺深い横顔に、細胞のレベルではない、人間の老いや成熟の全的な姿を見る。母の姿は情報ではないけれども、人が必ず迎える人生の終盤の何たるかを百万の情報よりも端的に物語っているし、地球規模の情報ネットワークも、所詮は有限の身体を持つ人間の話なのだということをわたくしに教えてくれる。
高村薫さんの小説のほうはあんまり読まないのだけれど、社会時評には必ず目を通すことにしている。思わず背筋を正したくなるような文章だと思う。  

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