百年前の今日、あるひとりの女性が、映画のまち京都で産声をあげました。彼女の名前は坂根田鶴子―日本発の女性映画監督として『初姿』という作品を撮ったことを知るひとは、残念ながらあまり多くありません。本日は、その坂根田鶴子さんの業績を検証するというシンポジウムが京都文化博物館で行われました。私は仕事のふりをして参加したのですが、じつに興味深いシンポでした。
坂根さんの功績については現在、「女性映画監督のパイオニア」として高く評価する声と、「国策映画に手を染め、戦争責任を問われるべき映像作家」(こちらはもちろん酷評)という評価に二分されているそうです。でも、いずれの評も「坂根田鶴子を限られた一面からしか見ていない」とパネリストのひとり、池川さんはおっしゃっていました。
確かに、いまになってみれば「戦時中は屁理屈をこねて一度もメガホンを取らず、占領地のシンガポールでハリウッド映画ばかり観ていた」小津安二郎監督は正しいような気がします。でも、「映画が撮れるのならば、ソ連でも満州でもどこへでも行く」と日本を飛び出したパイオニアを、後の世のひとたちが一概に断罪するのは、やはりおかしな話なのかもしれません。
(ちなみに、映画人の戦争責任ということについては、伊丹万作監督が「戦争責任者の問題」という文章を書かれていて、いま読んでも、全然古びていなくてすごいです。興味のある方はこちら→)http://www.ribbon-project.jp/book/itami.html
最後に坂根さんと交流があったスクリプターや編集の方、太秦撮影所の方が「ご自身の知っている坂根さん」のお話をしてくださいました。90歳も近いという方々です。とてもいいお話でした。大切なことは細部に宿るのだと思いました。
「みなさんのお話聞いてたら、坂根さんはいまで言うバリバリのキャリアウーマンかなんかやと思わはるかもしれませんけど、ほんまはちゃいます。優しいおひとでした。はんなりした京都人でした」
「溝口健二というひとは厳しいひとで、現場で無理言うので有名でした。みんな震え上がってました。坂根さんは溝さんのほんまの陰の力や思います。だから溝さんが53歳で死んだ時、坂根さんもひとつの仕事が終わったと、思わはったんとちゃいますか」
「坂根さんは映画を愛したひとでした。色っぽい話は聞かんかったなあ。あ、でも坂根さんが映画以外に愛したもんが、ひとつだけありました。酒です。坂根さんはほんまに大酒飲みでした」
坂根田鶴子というひとを、もっと知りたくなりました。彼女がずっと胸に秘めていたであろう葛藤や不安がなぜか、とても他人事には思えませんでした。これはもう!坂根プロジェクトを立ち上げた神谷さんと熊谷さんに拍手です!
坂根さんの功績については現在、「女性映画監督のパイオニア」として高く評価する声と、「国策映画に手を染め、戦争責任を問われるべき映像作家」(こちらはもちろん酷評)という評価に二分されているそうです。でも、いずれの評も「坂根田鶴子を限られた一面からしか見ていない」とパネリストのひとり、池川さんはおっしゃっていました。
確かに、いまになってみれば「戦時中は屁理屈をこねて一度もメガホンを取らず、占領地のシンガポールでハリウッド映画ばかり観ていた」小津安二郎監督は正しいような気がします。でも、「映画が撮れるのならば、ソ連でも満州でもどこへでも行く」と日本を飛び出したパイオニアを、後の世のひとたちが一概に断罪するのは、やはりおかしな話なのかもしれません。
(ちなみに、映画人の戦争責任ということについては、伊丹万作監督が「戦争責任者の問題」という文章を書かれていて、いま読んでも、全然古びていなくてすごいです。興味のある方はこちら→)http://www.ribbon-project.jp/book/itami.html
最後に坂根さんと交流があったスクリプターや編集の方、太秦撮影所の方が「ご自身の知っている坂根さん」のお話をしてくださいました。90歳も近いという方々です。とてもいいお話でした。大切なことは細部に宿るのだと思いました。
「みなさんのお話聞いてたら、坂根さんはいまで言うバリバリのキャリアウーマンかなんかやと思わはるかもしれませんけど、ほんまはちゃいます。優しいおひとでした。はんなりした京都人でした」
「溝口健二というひとは厳しいひとで、現場で無理言うので有名でした。みんな震え上がってました。坂根さんは溝さんのほんまの陰の力や思います。だから溝さんが53歳で死んだ時、坂根さんもひとつの仕事が終わったと、思わはったんとちゃいますか」
「坂根さんは映画を愛したひとでした。色っぽい話は聞かんかったなあ。あ、でも坂根さんが映画以外に愛したもんが、ひとつだけありました。酒です。坂根さんはほんまに大酒飲みでした」
坂根田鶴子というひとを、もっと知りたくなりました。彼女がずっと胸に秘めていたであろう葛藤や不安がなぜか、とても他人事には思えませんでした。これはもう!坂根プロジェクトを立ち上げた神谷さんと熊谷さんに拍手です!
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