驢馬の耳書店 店主から、みなさまにお知らせです。
2005年10月16日 店主のつぶやきみなさま。
驢馬の耳書店をいつもご愛顧いただきありがとうございます。
まことに勝手ながら、営業をしばらくお休みさせていただきます。
またいつか、みなさまと再会できますことを祈りつつ。
旅の途中にて 店主拝
驢馬の耳書店をいつもご愛顧いただきありがとうございます。
まことに勝手ながら、営業をしばらくお休みさせていただきます。
またいつか、みなさまと再会できますことを祈りつつ。
旅の途中にて 店主拝
幸田文は、女としての自分を”美”と真反対のところにおいて語ることが多く、またそれを好んでいるようなふしがある。いや、その役を自分に振ったアングルから、必死で何かを見定めようとしていたのかもしれない。いずれにしても、そこからかもし出される滑稽感は比類ない切れ味で、多くの読者を引きつけている。だが、その滑稽感を突き抜けてとどいてくるのは、幸田文のこれまた比類ない美しさなのだ。その美しさの芯に、まさに渾身の姿というものがある。編集者時代の村松さんの回想記。「私はおこがましいが幸田文の友だちのごとき気分となり、一度も原稿をもらっていないのだ」と語る村松さんが、幸田さんのお宅に足繁く通い、お手製のマッチ箱をひとつずついただいて帰ってホクホクするあたりの話が面白い。それにしても、村松さんの編集者時代の話というのはすごすぎる。何しろ、武田百合子さんの料理食べたさに、食事時を狙って武田家を訪問したという方なのだ。百合子さんのごはんはどんな味だったんだろう。あー、うらやましい!
臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知
2005年10月7日 ノンフィクション「顔」を知っているということは、その造形を細部にまで熟知しているということではないのだ。そして誰かの「顔」はときに、そのひとの漠とした後ろ姿でも掌のたたずまいでもありうる。「顔」はそのひとがわたしにふれるときのその気配とでもいうべきものだ。だから声も、そのひとのことを想うときにかならず響いてくるものであれば、それはそのひとの「顔」だと言ってよい。「きめ」は「肌理」とも書くが、まさに声はわたしの皮膚にふれてくる他者の「顔」なのだ。ひとにとって「言葉」とは何なのか?「人間存在」とは?「他者」とは?・・・について、ふたりの臨床家が語り合ったダイアローグ。そのときどきの心のあり様によって、響いてくる言葉は違うのだろうなと思いながら読了。
余談ですが、私はひとの顔をほとんど覚えられないタチでして、日常生活に支障が出てきたりして悩ましいのですが、上記の文章を読んでちょっと安心した。そうなのよね。声とか気配のほうがずっと、そのひとの顔だったりするんだよな。
いたるところから働きすぎの悲鳴が上がっている・・・グローバリゼーション、情報技術、消費社会、規制緩和などに注目して今日の過重労働の原因に迫る。まっとうな働き方ができる社会を作っていくために、いま何が必要なのか。
言うまでもなく、私が読むべき本ではないわけです。
「ふだんごはん」に使える170品目のレシピとコツがぎっしり詰まった本。カツ代さんの独特の語り口が魅力。大さじとか小さじとか、そういうややこしいことは言わない。「ちょろちょろっと」「じゃーっと」「たらりと」「どぼっと」で、わかるひとにはわかるわよね?というような強気な感じで書かれているのだけれど、確かにわかりやすい。
草菜根―そしてご飯で、ごちそうさん
2005年10月4日 衣食住ふきのとう、山うどの芽、葉山椒、たんぽぽ、白いちじく、金時にんじんなど-野のもの、里のもの、雑草とされるものの中から、素材の持つ力を一杯に引き出した料理の作り方と自然の様を紹介する。京都・銀閣寺畔でいま評判を呼ぶ和食店主人の、初の料理書。ますます「草喰 なかひがし」に行きたくなった。いまから予約したとして・・・いったいどのくらい待たないといけないんだろう。ちょっと、不安。
5万円の豪邸やネコ専用ハウス、賃貸物件や談笑スペース、竹やぶの家etc.いわゆる路上生活者の家「ダンボールハウス」を訪問し、それぞれの家を詳細なイラスト入りで紹介した、異色のお宅訪問レポート。元原稿は建築学科に在籍していた著者の卒業論文らしい。とてもユニーク。調査期間は3年というから、ずいぶん加筆されているのかな。レポートにまとめたダンボールハウスはじつに70件。各家主の「こだわり」や「生き抜く知恵」や「撤去されない工夫」も面白いのだけれど、著者がコミュニティに溶けこんでいく過程が描かれているのも興味深い。「お互いの理解を深めるために(じっくりと)1ヶ月くらいはカオダシに努める」とか、さらりと書いてあるけど、息の長い話だなあとつくづく思って感心する。
「必要最低限のモノ」に囲まれた生活とはいっても、ひとつひとつの家にそれぞれの表情があって、何がそのひとにとって必要不可欠なのかというのも、すこしずつ違うのだ・・・という、当たり前のことにあらためて気づかされたりする。家の主の顔が一度も登場しない割には、じつに表情ゆたかな家たちなのです。
とはいえ、この調査が終了した後、愛知万博の開催に先だって、ダンボールハウスはすべて撤去されたのだとか。あとがきにあるように、「本書は、かつて都心の一等地に存在した究極の家のドキュメント」として記録され、記憶されることとなった模様。
週刊 驢馬の目−丸善に檸檬爆弾、現るの巻
2005年10月3日 店主のつぶやき10日に閉店する書店「丸善」京都河原町店で、売り場の本の上にレモンを置いて立ち去る客が相次いでいる。作家梶井基次郎(1901〜32)の短編小説「檸檬(れもん)」の主人公が京都の丸善の本の上に、近くの果物屋で買ったレモンを置いたのをまねて客がそっと置いていくらしい・・・これまでも年に数回、レモンが置いてあった。それが閉店が決まった今春から徐々に増えはじめ、現在11個。いずれも、レジの店員から見えない所に置かれていたという。(10月2日・朝日新聞・京都版)
http://www.asahi.com/culture/entertainment/news/OSK200510010010.html
中島さん、ご無沙汰してます。お元気ですか?こういうことを思いつくのは中島さんだけなのかと思ってましたら・・・急増中みたいです。閉店を惜しむお客さんが無言で檸檬を置いていくっていうのが、いかにも丸善らしい。それにしてもやっぱり『交尾』は名作ですね!
下流社会 新たな階層集団の出現
2005年10月2日 新書「下流社会」とは具体的にどんな社会で、若い世代の価値観、生活、消費は今どう変わりつつあるのか。マーケティング・アナリストである著者が豊富なデータを元に書き上げた、階層問題における初の消費社会論。説得力がある話は多いのだけれど、違和感を感じる部分も少なくない。前作『ファスト風土化する日本』を読んだときも同様のことを感じたのだが、この手の話はカテゴライズすればするほど、記号化すればするほど・・・個人個人のひととなりや、暮らしや、そういう肝心なディテールの部分が削げ落ちてしまって、ただただ寒々しい話に終始してしまうような気がする。著者はマーケティングが専門なのだから、当然といえば当然なのだけれど。
秋元康、安西水丸、石橋貴明、井筒和幸、糸井重里、今井彰、 おちまさと、乙武洋匡、金子勝、香山リカ、カルロス・ゴーン、北川正恭、北村龍平、木村剛、邱永漢、清宮克幸、小谷真生子、齋藤孝、櫻井よしこ、佐々淳行、佐藤可士和、笑福亭鶴瓶、重松清、白石康次郎、鈴木光司、高橋がなり、高橋源一郎、田原総一朗、堤幸彦、野口悠紀雄、中島義道、中村修二、成毛眞、野口健、日比野克彦、藤子不二雄A、藤巻幸夫、古舘伊知郎、堀紘一、三木谷浩史、宮内義彦、柳井正、横山秀夫、平尾誠二、 養老孟司、松本大、本宮ひろ志、森島寛晃、和田アキ子、和田秀樹。総勢50人の「夢をかなえる仕事術」仕事用の資料読み。
怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか
2005年10月1日 新書ゴジラ、ガメラ、ガンダム等、男の子が好きなものの名前にはなぜ濁音が含まれるのか。カローラ、カマロ、セドリック等、売れる自動車にC音が多いのはなぜか?すべての鍵は、脳に潜在的に語りかける「音の力」にあった・・・脳科学、物理学、言語学を駆使して、「ことばの音」のサブリミナル効果を明らかにするという本。著者が息子さんを育てた実感から「ぱいぱい」と「まんま」について熱く語っている章が面白かった。
しかし、私はもう一度だけ、問いたいのだ。あなたが目指している社会、弱い人や危険な人はいっさいおらず、誰もが「私たちの国や国民は優れているのだ」と諸外国に対して毅然と胸を張り、「お先にどうぞ」「負けるが勝ち」などといった腰抜けな態度は改め、簡単に「軍」と名のつく集団を備えて「万が一のときは自分の国は自分で守る」と宣言できる社会になれば、あなたやあなたの大切なひとは本当に幸福になれるのか、と。「きれいごと」は、本当に何の役にも立たないものなのか、と。「安心」を得るための読書はやめようと常日頃から思っている割には、新刊が出るとつい購入してしまう香山リカさんの本。学生さんと日頃、接していると、言葉にならない澱のようなものもたまってきたりするのだけれど、香山さんの本を読んでいると、「そ!それそれ、そうなんです!」と膝を打ちたくなるような瞬間が多々あって安堵する。こういうところで「共感」などしていてもいいのだろうか、と思うところなきにしもあらず、なのだけれど。
卵一個ぶんのお祝い。―東京日記
2005年9月29日 エッセイ中央線に乗っていたら、隣に立っているおばあさんから、「体格がいいねえ」と話しかけられる。はあ、と曖昧に答えると、おばあさんは「そんなに体格がいいから、おこさんを五人も生んだのね」と続ける。五人も子供を生んだ覚えはなかったが、おばあさんがあんまり確信に満ちていてにこにこしているので、だんだん自信がなくなってくる。
LEONの秘密と舞台裏 カリスマ編集長が明かす「成功する雑誌の作り方」
2005年9月28日 エッセイ世にいう「ちょい不良(ワル)オヤジ」とは?東京でいえば銀座、青山、西麻布といった場所に出没する、歳はそれなりにいっているけれど、シャツのボタンを2つ3つ開けて、ジュエリーを「ちょい」ジャラジャラさせ、オヤジだてらにデニムを履いている。そういう、女性に「モテる」ことを意識したお洒落オヤジがたくさん増えてきて、実際に20〜30代の女性たちの支持を集めるようになってきています。ほほぉ、なるほど、なるほど。あまり街に出ることなく、まっすぐ前を見ることもなく歩いているので、そういうおじさんを見かけた記憶がないのですが、もしも道で出くわしたら、一目散に逃げるとします。だって、普段から「ちょい不良(ワル)」を意識し、「ちょいモテ」なスタイルを模索し、「ちょいムチ」なカラダを目指してジムに通っているだなんて・・・あまりにもわかりやすくてイヤだ、怖い、気持ちが悪い。とはいえ、「LEONの秘密と舞台裏」はなかなか面白かったです。
それにしても、「お茶目で少年心を持ったオヤジは、ゴルフコースを一緒に回っている女性に、クワガタを一匹つかまえてきて、プレゼントする」というストーリーはいかがなものか。でも、そういう企画を紙面でやって、「ほぉ、こりゃこりゃ、いいアイデアだわい」みたいに思う読者がたくさんいらっしゃるんですよね。男性誌ってば、奥が深い?!
あのころ、いつもわたしのそばには、わたしの心や考えをまったくしばらない優しい父と母がいてくれた。そんな自由な子供時代の話から始めましょう--やりたいことがありすぎて学校をさぼってズル休み。にわとりの卵の観察日記をつけたり、漫画家を目指したり・・・内気なカツ代ちゃんが人気料理研究家 小林カツ代に変身するまでの半生記ほがらかなのに、確固たる意志を持っていて、大胆にして、繊細。やっぱり好きです、カツ代さん。
クウネルの本 私たちのお弁当
2005年9月26日 衣食住雑誌クウネルの人気企画「エブリデイ・マイ弁当」に新たなお弁当をプラス。お弁当作りが大好きな人たちの作り方の工夫やコツがぎゅっと詰まった、おいしい1冊。連載時からずっと読んでいたのですが、続けて読むとまた違った面白さがあって◎ひとりひとりの顔かたちが違うように、お弁当にも表情があるみたい。誰かのために作るお弁当と、自分のために作るお弁当では、気持ちの持ちようが違ったり・・・作り手の雰囲気とかプロフィールを見ながらお弁当を眺めると、みょうに納得がいったり、意外だったり。そういえば、中高生の頃って、隣のひとのお弁当の中身が気になったりしませんでした?そういう感覚を思い出す、愉快なお料理本。
カラー版 里山を歩こう
2005年9月25日 新書ひなびたごちそう―島田雅彦の料理
2005年9月24日 衣食住中年が何らかの魅力を誇れるとしたら、退屈を紛らわす知恵と教養くらいである。若さに異様な高値がつけられる社会でオヤジが自らの矜持を保とうと思ったら、オヤジには不可能と思われていることをさりげなくやってのけるほかない。若者は不器用でも美しければよいが、オヤジが不器用であることは救いようがない。・・・そこで、中年よ、包丁を取れ、と私は叫びたくなる。・・・最初は見返りなど求めてはならない。とにもかくにも他人に自分を食べてもらうつもりで。キッチンに立つのだ。そんなことを「美しい中年」の島田雅彦氏に言われても、説得力がないです。お料理だってどう見ても、さりげなくないし。神は二物を与えるということで、仕方ありませんね。やれやれ。
初めて劇場で観た韓国映画は、確か『西便制』でした。シネカノンが配給して話題になった作品です。とはいえ、韓国と日本のあいだにある深い溝だとか、心のへだたりだとかを、ことのほか意識してしまって、当時はかなりへこんだことを覚えています。いまでこそ、エンターテイメント・ムービーの手法なら韓国に聞け!というような雰囲気ですが、少し前までの韓国映画ってば、ものすごく肩に力が入っていたんです。そういう経緯もあって、ホ・ジノ監督の『八月のクリスマス』を観たときの感動はひとしおでした。まさしく、国境を越えた共感!以来、同監督の作品は新作を心待ちにしていたわけで・・・今回の作品もヨン様がおめあてではないんですよ(いまさら言い訳)だって、映画館に行くのが、恥ずかしかったんだもん。えー、内容のほうは劇場で(笑)